1. HOME
  2. ブログ
  3. 日本人の長時間労働・残業のルーツは江戸時代にあった?

日本人の長時間労働・残業のルーツは江戸時代にあった?

日本人は世界でも長時間労働が多い国民だと言われます。

年々労働時間は減少しているとは言われますが、2010年段階でも日本人は先進国(30カ国)の中で第2位。
韓国に次いで長時間労働(週49時間以上)比率が高いのだそうです。

*本川裕『統計データが語る日本人の大きな誤解』(日経プレミアシリーズ223、2013年)

ではなぜ私たちは長時間労働をしてしまうのでしょうか?

 

日本人の長時間労働のルーツは江戸時代にあった

経済史家の速水融さんは、江戸時代初期の日本で「勤勉革命」が起きたのが原因だといいます。
ヨーロッパで「産業革命」が起きたように、日本には「勤勉革命」が起きた。それが日本人の長時間労働のルーツとなったのです。

では「勤勉革命」とはいったいどのようなものだったのでしょうか?

 

江戸時代の日本とヨーロッパの農業の違い

速水さんはまず、江戸時代のヨーロッパと日本の農業の性格の違いについて説明されます。
では江戸時代のヨーロッパと日本の農業の違いは何なのかというと、収穫量を増やすためのアプローチの違いです。

ヨーロッパ型はとにかく耕地面積を増やそうとします。
その上で家畜を増やし、人の労働量を節約します。
つまりいかに少ない人数で多くの面積を耕せるか。
ここに注目するのが「ヨーロッパ型農業」です。

しかし日本型は異なります。
日本は1人あたりの耕地面積が狭いため、江戸時代の日本人は単位面積あたりの収穫量を増やすことで増産しようとしました。
よって品種改良や肥料の改良を進めましたし、細かな作物の植えかえや二毛作などを行って土地の有効利用を進めました。
また土地の面積が狭いために、農地を耕すには家畜に頼りにくく、人力を重視するようになりました。

結果、日本人はヨーロッパ人に比べて労働時間が増えることになったのです。

さて、これだけ聞くと

なるほど!確かに日本は国土が狭いから、そうなってしまったんだな!

と思ってしまいますが、話はそれだけではありません。

そもそもアメリカならいざ知らず、ヨーロッパの国々の国土ってそんなに広かったでしょうか?
確かにヨーロッパに比べれば平地が少ないという理由はありますが、それだけが原因ではありません。

 

戦国時代以前の日本の農業はヨーロッパ型

そもそも「日本型農業」が盛んになったのは江戸時代からの話で、実は戦国時代以前は日本も「ヨーロッパ型農業」を行っていたのです。

戦国時代の農業は合同家族世帯の大経営が中心で、今のような核家族世帯はほとんどありませんでした。
一つの家族に戸主夫婦とその父母夫婦が一緒に住んでいるだけでなく、弟夫婦や叔父夫婦、独身者が一緒に住んでいることがほとんどな上に、下人と呼ばれる隷属民の夫婦や独身者が住んでおり、一家族で20〜30人以上なんていう事例はざらでした。

なので戦国時代までの農業経営は、広い耕地面積を多くの人を使って耕作する大規模経営が行われていたと言われています。

戦国時代の農業というのは、大規模な農業法人によって行われていたと考えるとイメージが近いのではないかと思います。

ですので、同じ「農民」でも社長クラスもいれば課長クラス、平社員やアルバイトクラスまで多様な階層の人々がいました。

suki

また「松崎天神縁起絵巻」に見えるように、牛に鋤(すき)を引かせるなど、家畜の使用も盛んに行われました。

 しかし、豊臣秀吉の太閤検地から江戸時代の初期にかけて、このような「ヨーロッパ型農業」(大規模経営型農業のビジネスモデル)が崩れていくようになります。

 

大規模経営モデルの崩壊

戦国時代が終わりを告げ平和な世の中がやってくると、大規模な合同家族による大規模経営モデルが次第に崩れていきます。

それはなぜでしょうか?

弟や叔父夫婦、下人たちといった農業法人における平社員やアルバイトクラスの人々のモチベーションの低下が問題となってきたのです。
そのため少しずつ大規模経営は経営が苦しくなっていったといいます。

そして江戸時代に入って40年後、

寛永17・8(1640・41)年に決定的な事件が発生します。

寛永の飢饉です。

飢饉により、家族のリストラや逃亡が発生し、いわゆる水呑百姓・乞食層が増加することになります。
また労働者が不足しているため、耕作されない土地が多数発生することになりました。

某外食チェーンが経営安定のために、1人での勤務をアルバイトに強要し、結果として一時閉店店舗を多数抱えることになってしまったことに似ているかもしれません。

 

寛永の飢饉によるビジネスモデルの転換

寛永の飢饉により、「ヨーロッパ型」大規模経営モデルは一気に崩壊に向かいました。

そこで、経営者層は新しいビジネスモデルを考案します。

弟や叔父夫婦・下人たちに土地を分け与え、彼らに自分で耕作させ小作料収入を得るモデルです。

つまり本社直営ではなくフランチャイズ化することで、ロイヤルティ収入を得るモデルを考えついたのです。
大規模スーパーからコンビニエンスストアへの転換のようなものです。

その結果、分家の増加や下人の自立が社会現象となり、一家族の世帯人数は一気に減少。戸主夫婦・その子供・父母夫婦の3世代の直系家族世帯が主流になります。

これを「小農自立」と呼びます。

 

幕府・藩も農業のフランチャイズ化を後押し

寛永の飢饉を受けて、農業経営のフランチャイズ化が進みましたが、この流れは時の政府も後押しします。

加賀藩の事例でいうと、当時加賀藩では「改作法」という政策を進めていました。
その内容は、農村の状況調査、官僚制度改革、不法な代官・奉行の粛正、農民への半徳政、小農再生政策だったと言われています。

そして小農再生政策の内容としては、

1、耕作放棄地を取り上げ、水呑百姓・乞食層へ与える。
2、田畑を売り払うことを禁止する(田畑永代売買禁令)。
3、年貢の定免制

上記の3点が主でした。

余っている土地を貧しい者に与え、徳政(借金免除)で借金の不安をなくし、借金から貧しい者が土地を売り払ってしまうことを防ぎます。
そしてどれだけ米が収穫できても、年貢料は一定になるようにすることで、小農のやる気を促したのです。

 

小農自立が勤勉革命を生んだ

そしてこの時期には、農具の改良や肥料の進化、農書(農業マニュアル)の普及といった技術革新が行われ、小農経営の経営効率は大幅に向上します。

結果、結婚率も向上し、人口も増加。まさに江戸の高度成長期。総中流時代を迎えることになります。

頑張れば頑張るだけ暮らしが豊かになる仕組みが出来上がり、本阿弥光悦や俵屋宗達などに代表される寛永文化が花開いたのもこの頃です。

以後、江戸時代の人々にとって、この時期は「理想の時代」としてイメージされます。

これ以後の改革はほとんど、

この時のような世の中にするにはどうすれば良いか?

がテーマになりました。

そんな江戸時代人の幸せな記憶が、今の日本人の働き方に残っているのです。

 

文責:安藤竜(アンドリュー)

▼業務改善研修のご相談はこちらから、全国どこでもお伺いいたします。
***問い合わせフォーム***

参考文献



速水融『歴史人口学で見た日本』(文春新書、平成13年)


速水融『歴史人口学の世界』(岩波現代文庫、2012年)


佐々木潤之介『増補・改訂版 幕藩権力の基礎構造』(お茶の水書房、1985年)

『金沢市史』通史編2近世(平成17年)

ご案内

金沢の地元情報の記事作成、歴史にまつわる文章や講演のご依頼はこちらから

問い合わせフォーム

金沢歴活のフェイスブックページもあります。

金沢歴活フェイスブックページ

歴活イベントへの参加はイベントページをご覧くださいませ

イベントページ

金沢を古地図で散歩しよう!

金沢古地図アプリ古今金沢ダウンロード

最新の歴活情報はこちらの無料メルマガ「歴活通信」がオススメです!
登録よろしくお願いいたします!

歴活通信

 

関連記事