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【歴史トーク】邪馬台国論争の本来の目的とは?

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

邪馬台国の場所については、古くは江戸時代から議論があります。

畿内説、九州説、出雲説、吉備説、阿波説などがありますが、近年では畿内説がどうも有力なようです。

この邪馬台国論争については、明治時代に内藤湖南(畿内説)と白鳥庫吉(九州説)が大論戦を交わしてから、どんどんホットなテーマとなり現在に至ります。

現在はどちらかというと、歴史ロマンの対象として広く議論が行われている感がありますが、当初はもっと切実な政治的テーマを背景に交わされた論争でした。

邪馬台国論争とは本来、近代日本を立ち上げるための「歴史の見方」についての論争だったのです。

今回は小路田泰直さんの本から解説してみます。

邪馬台国論争の背景

邪馬台国論争が激しく行われたのは、19世紀末〜20世紀初頭。

明治政府の政治的課題は、西洋諸国と結んでいた不平等条約を改正することでした。

しかし「国力」『文明度」ともに西洋に比べて低いため、少しずつ改正していこうとしていましたが、国民から「弱腰外交」扱いをされ困っていました。
その段階での歴史学者の課題は、日本史と西洋史の共通点を探すこと。日本史に「文明」の要素を見つけることでした。

そんな状況下、睦奥宗光が一気に不平等条約の改正に成功します。

その際の戦略は当時アジアの覇権がイギリスからアメリカに移行しつつあったこともあり、アメリカカードを活用することでした。

とくにアメリカとイギリスが考える、一国が独立する必要条件の違いに注目しました。

イギリスは欧米諸国並みの「文明国」であることが条件と考えていましたが、アメリカは独自の文化を持った「民族国家」であるかどうかが条件と考えていました。
その結果、明治27(1894)年の日英通商航海条約の調印(治外法権の撤廃)につながったのです。

ここで、歴史学者の課題は、日本史に「文明」を探すことから、日本文化の特殊性を証明することに変わったのです。

日本文化の特殊性を証明するには?

しかし、そこで一つ問題がありました。

そもそも中国文化の影響を受けていない日本固有の文化など存在しない・・・

という問題です。

そこでその問題を解決するために生まれた手法が、物語的歴史学という手法です。
ポイントは、まず神話と歴史をつなげることです。
そして神の時代に日本固有の文化があったことを想定するのです。
しかしそれだけでは不十分です。
今度は中国文化が入ってきても、その日本固有の文化が残った理由を説明できなくてはいけません。
そこで生まれたのが復古の英雄です。
彼らが中国文化が入ってきて廃れてきた日本固有の文化を復興した、というストーリーを作ることでそれを証明しようとしたのです。

しかしそれには問題がありました。

圧倒的に説得力が弱いという問題です。

なにせ論じている本人すら、科学ではないと認めている状況だったのですから。

ではどうする?

じゃあ、日本文化の固有性を「客観的歴史」の手法で証明してやろうじゃないか!

そのための素材として使われたのが、邪馬台国九州説だったのです。

邪馬台国九州説とは?

九州説を論じたのは東京大学で東洋史を教えていた白鳥庫吉です。

そもそも日本文化の古代からの特殊性を説明するには、日本が大陸から地理的にも文化的にも分断されていないといけません。

白鳥庫吉は魏志倭人伝の記述を見ると、邪馬台国から東側の地域については記述がアバウトであることに気づきます。

ということは、もし邪馬台国が九州にあった場合、中国地方から東側の日本は一切中国に知られていないことになります。

つまり九州説が成り立てば、邪馬台国は中国の影響を受けていたかもしれないが、大和朝廷は一切中国と関わらずに成立したと証明することが出来るのです。

邪馬台国畿内説とは?

それに対し、畿内説を論じたのが内藤湖南です。

内藤湖南の主張は、まずテキストは素直に読むべきであるというものでした。

魏志倭人伝に出てくる地名は中国地方や東海地方の地名におよそ比定できるし、素直に読めば「邪馬台」はヤマト、「卑弥呼」はヒメミコではないだろうか。

そして日本文化の特殊性は、中国周辺に位置する一野蛮国が中国文明を吸収・消化して室町時代頃には独自の文化を持つようになったという流れで把握すればよい。という考えでした。

両者の違い

まず古伝説の読み方に対するスタンスです。

白鳥:時代の思想や考え方を知る手がかりとして読む
内藤:誇張はどうしても存在するが、あくまで歴史(事実)として読む

つぎに求めたものですが、

白鳥:日本が西洋に対抗するためにはどうすればよいか
内藤:アジアが西洋に対抗するためにはどうすればよいか

両者の立場はそれぞれ違いますが、2人に共通して言えることは、

よりよい未来をつくるためにはどうすれば良いのか?

ということを追求する手段として、歴史の研究をしていたということです。

自分が創りたい未来はどのようなものなのか?

邪馬台国論争は、そんな理想の未来の姿を議論する論争でもあったのです。

主な参考文献

小路田泰直『「邪馬台国」と日本人』(平凡社新書、2001年)

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