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松平不昧に学ぶ文化都市・松江の作り方(中編)

前回の記事【歴史トーク】松平不昧に学ぶ文化都市の作り方(前編)

松平不昧は茶道に傾倒し、茶道にまつわる文化を育成することで文化都市・松江を築きあげました。

でも、じつは彼が松江藩主になったとき、藩の財政は火の車。
とても文化にお金を出せるような状況ではありませんでした。

松平不昧はいったいどのような取り組みを行なったことで、文化都市・松江を作り上げたのでしょうか?

松平不昧以前の松江藩

松江藩は18万6千石。
結城秀康に始まる越前松平家系列の親藩です。

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しかし松平不昧のお父さん、宗衍(むねのぶ)の代には莫大な財政赤字を抱えていました。
そこで、宗衍(むねのぶ)は一念発起。

延享3(1746)年に「御趣向の改革」とも「延享の改革」とも呼ばれる改革に取り組みます。

これまでの家老に任せる政治ではなく、藩主自身が取り組む改革を目指し、若手の小田切備中という人を抜擢。
「趣向方」と呼ばれる改革派のチームを編成します。

では具体的に御趣向の改革(延享の改革)とはどんな内容だったのでしょうか?

御趣向の改革(延享の改革)とは?

御趣向の改革(延享の改革)の内容は大きく3つです。

1、金融対策
2、産業の育成
3、教育の充実

金融に関しては、まずメインバンクの米子(鳥取県)商人はもう相手にしてくれなくなっていたので、大坂や尾道(岡山県)の商人から融資をしてもらいました。

その資金を元手に藩営の銀行(泉府方といいます)を経営します。

また年貢を一括で先納すると、減税になる制度をつくり当座の資金を得ました。

それらの資金を使って、次にやったことは産業の育成です。

まずは商品作物の普及。
木綿や煙草、はぜ蝋、朝鮮人参などです。

そしてはぜ蝋をつかった和ろうそくの製造。

たたら製鉄の生産・流通の管理。
また、その鉄をただ輸出するのでなく、鍋釜を製造するようにしました。

教育については藩校の文明館を設置したのもこの頃です。

このように10年間、積極的に改革に取り組みますが「御趣向の改革」は残念ながら、宝暦期に挫折してしまいます。

改革失敗の3つのポイント

まずは財政赤字にも関わらず、産業に投資し続けたことで金融不安が発生したこと。

そして宝暦の飢饉への対応。

宝暦10(1760)年に比叡山延暦寺の修復工事を幕府から命じられたこと。

この3つの理由から財政は回復することなく、宗衍(むねのぶ)は以後5年間、病気を理由に5年間江戸に居続けることになります。

*この時期、病気を理由に参勤交代をしない大名がでてくることについては、以前に別の記事で書いたことがあります。
 【歴史トーク】参勤交代は何のために行われたのか?  

そして結局36歳で隠居、松平不昧に家督を譲ることになるのです。


*後編に続く・・・

 
主な参考文献

乾隆明『松江ふるさと文庫3 増補改訂版 松江藩の財政危機を救え』(松江市教育委員会、2008年)

石井悠『シリーズ藩物語 松江藩』(現代書館、2012年)

道重哲男・相楽英輔編『街道の日本史38 出雲と石見銀山街道』(吉川弘文館、2005年)

『水の都市松江』(島根県松江市観光ガイドブック、松江観光協会)

「松平不昧公ゆかりの茶室明々庵」(明々庵パンフレット)

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