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享保改革とは何か?〜徳川吉宗・大岡越前の時代〜(後編)

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

今回も享保の改革についてです。

*全開の記事はこちら

【歴史トーク】享保改革の時代とは?〜徳川吉宗・大岡越前の時代〜(前編)

前回の記事では享保改革のメインの5つの政策のうち、マネー政策、収入増加、支出削減について書きました。

今回はあとの2つ。
統治体制と江戸の首都機能の強化というポイントについてのお話です。

統治体制の強化

享保改革の際の統治体制の強化、ポイントは以下の6つです。


1、鷹狩りの復活
2、官僚機構の再編
3、法の整備
4、公文書管理システム
5、統計(国勢調査)
6、藩の均質化

まずポイントは鷹狩りの復活です。

徳川吉宗は御三家の紀州藩出身ですが、紀州藩は徳川家康の10男の徳川頼宣が初代です。
つまり徳川吉宗はこれまでの将軍とは血統が異なるため、徳川家康の子孫だということをアピールすることで、将軍としての立場を正当化しようとしました。
それが、徳川家康が好んだ鷹狩りの復活につながります。

その上で徳川吉宗は徳川綱吉以来、膨張していた江戸幕府の組織を効率化します。
経済関連の仕事を勘定所という部署にすべて一統化します。
省庁再編です。
そして部局別の予算制度を導入します。

また足高の制という仕組みを作り、これまで江戸幕府の上位の役職には石高が高い人しかなれなかったのを、その役職につく際だけ加増することで人材の流動化を図りました。

そしてこれまで江戸幕府の各役所では、訴訟の関連文書やお触れなどの公文書が保管されていなかったのを改め、留帳とよばれる記録を残すようになります。

また日本初の人口調査を行ったり、日本地図の作成や寺院の本末改めを行うなどの統計、今でいうところの国勢調査のようなものを行いました。

そしてその流れは各藩にも及びます。
これまでの時期の「名君」と呼ばれる人のスタイルは、加賀の前田利常など儒学者をブレーンに自分が政治を行うタイプでした。

しかしこの頃から、官僚の登用によるスタイルが主流になってくるのです。

江戸の首都機能強化

この時期になってくると、次第に江戸が繁栄し、江戸周辺の農村も江戸への商品の供給を通じて発展を遂げます。

また町奉行の大岡忠相による政治が江戸で行われ、防火対策や町名主の定数削減、組合による相互監視体制が整うようになります。

元禄時代までは経済・文化の中心は大坂・京都でした。
しかし享保改革以降、少しずつ江戸に経済・文化の中心が移っていったのです。

徳川吉宗は小さな政府を目指し、民間にできることは民間に移行させていきます。

また行政の効率化を目指し、過去の記録の保存や国勢調査に基づく政治を行いました。
また同時に大岡忠相を通して江戸の町の政治体制も整えることで、これまで経済・文化ともに大坂・京都に遅れていた江戸のまちを首都化していくのです。

主な参考文献


藤田覚『近世の三大改革』(山川出版社、2002年)


藤田覚『幕藩制改革の展開』(山川出版社、2001年)

大石学『新しい江戸時代が見えてくる』(吉川弘文館、2014年)

大石学『近世日本の統治と改革』(吉川弘文館、2013年)

大石学編『享保改革と社会変容』(吉川弘文館、2003年)

杣田善雄『幕藩権力と寺院・門跡』(思文閣史学叢書、2003年)

高埜利彦「18世紀前半の日本~泰平のなかの転換」(『岩波講座日本通史第12巻近世2』岩波書店、1994年)

村田路人「吉宗の政治」(『岩波講座日本歴史第12巻近世3』、岩波書店、2014年)
藤本仁文「参勤交代制の変質」(『洛北史学』14号、2012年)

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