【能登観光情報】折口信夫の墓(石川県羽咋市)

折口 信夫(おりくち しのぶ)は、明治20年生まれの民俗学者であり国文学者であり詩人でもあります。
釈迢空(しゃく ちょうくう)という号で歌人としても活躍しました。
私にとっては柳田国男の弟子で民俗学の礎を築いた人という印象が強いです。
その折口信夫の墓が、石川県の羽咋市にある気多大社(けたたいしゃ)の近くにあります。
折口信夫の墓に行くには「のと里山海道」の柳田ICを降りるのですが、ICを降りると気多大社への案内表示と同時に、すぐに折口信夫父子墓の標識が目につきますので簡単に行けるかと思います。
私は今回気づきませんでしたが、この近くから見る海の景色がとても綺麗で、隠れたオススメスポットなんだとか。
また次回訪れた際にはレポートしてみようと思います。
さて、大阪出身の折口信夫の墓がなぜ石川県にあるのかというと、折口信夫が主宰する短歌の結社に参加し、後に養子になった折口(藤井)春洋(はるみ)の出身地だからです。
折口春洋は折口信夫の養子になってすぐに硫黄島で戦死します。
そこで折口信夫が父子墓を折口(藤井)春洋の出身地であるここに建立したのだそうです。
折口信夫は折口(藤井)春洋と出会ってから何度も羽咋市を訪れたらしく、石川県立羽咋高校の校歌は折口信夫の作詞なのだそうです。