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江戸時代の山村の害獣駆除対策

最近、輪島市や加賀市の山村で棚田を営んでいる方とお話させていただく機会がありました。

そこで必ず話題に出てくるのが、獣害の対策です。

具体的にはイノシシの被害がほとんどで、2010年頃までは能登にはまったくイノシシはいなかったのに、最近温暖化のせいか北上してきたのだそうです。

その被害はものすごく、ようやく稲に穂が出てきて喜んでいたら突然すべてを根こそぎ食べられてしまったなんて話がたくさんあります。


対策として、人のにおいを嫌がるので髪の毛を置いたり、鉄を嫌がるので脚立のようなものを置いたり、しし威しのようなもので音を立てて脅かしたりするものの、1年は良くても翌年は駄目になるようで、毎晩2時間おきに田んぼを回って音をならしてイノシシを追い払ったなんて話も聞きました。

また犬を飼うことも効果的なんだそうで、
犬のにおいをイノシシは嫌がるし、しつければ子イノシシくらいなら犬が狩ってくれるのだそうです。

また最近はイノシシ駆除の必要性から猟師が見直され、ジビエもブームになっているようです。

このように現代の山村では、とてもホットな話題となっている害獣駆除対策。

江戸時代の人々はどのように対処していたのでしょうか?

江戸時代の農書に出てくる野鳥・獣の被害

加賀国(農書2冊)の事例
・諸鳥(ソバ種)
・鹿(山中穀物)
・もぐら(畔損)
・からす(粟)
・カモ(苗代ぬく)
・キツネ(肥料の鰯を食う)
能登国の事例
・スズメ(稗)
・キジ(大豆種)
・ハト(ソバ種、大豆種)
・イノシシ(大豆苗)
・シカ(大豆苗)
・ウサギ(大豆苗)

これを見ると、江戸時代も能登にはイノシシの被害があったことが分かります。
能登のイノシシ問題は江戸時代にもあったのです。

農書に見える害獣対策あれこれ

農書に出てくる対策としては、
・ネズミ対策に猫を飼う。
・イノシシ・シカ対策には犬を飼ったり、狼を使いとする神社の札をたてるとその霊験でイノシシが寄ってこない。
・小さい札に「狐の業(しわざ)と兎が申す」と書くと、キツネが怒って兎を穫ってくれる(「甲子夜話」)

また、品種改良も盛んで、稲の品種に「雀しらず」(加賀国)というのがあったり、木曽の事例では稗の品種に「鹿ひえ」「いのししひへ」「さるひえ」「ししきらい」などがあったそうです。

民俗学文献に見える害獣駆除用語のあれこれ

・ヨオヒ
 夜、焼き畑に猪鹿のつくのを追いに行くこと。山小屋に泊まって大声で追い、または胴突きとて板を太い木で突きならす。
・タオヒ
 山小屋に不寝番をして夜中野獣を追うこと
・ヤアへイ
 陸前の山村では正月15日早暁の鳥追いのさいに、また野獣を追う唱えごとがあった。輪飾りに用いた幣紙を集めて采配之用なものを作り、これ
を長竿につけて屋根に上って振るという。
・ヤキヅリ
猪害を防ぐために竹竿の先を割り、それに髪の毛を焼いてはさみ、こういう竹を何本も垣のように畑のへりに建てた。
・ヒジメ
ぼろを芯にして火をつけ、猪除けにすることは山村に広く行われた。
・クタシ
三河・遠江の山村地方で猪の肉を竹筒に入れて腐らし、それを棒の先に何本もゆわえつけて畑の周りに建てる。臭気を発して猪をいやがらせる。
・ボットリ
水の流れを利用して、時々落ちて大きな音を立てるようにしたもの

広島県の古文書に出てくる事例

まず一つは、猪垣(ししがき)を築くことです。
寛保4(1744)年の安芸郡の事例では、瀬戸島、渡子島、倉橋島3か村共同で約2メートルの柴垣を2.2kmにわたって築き、イノシシを追い込む計画が建てられました。

ほか、落とし穴の設置という事例もあります。
佐伯郡多田村の事例ですが、村内のイノシシの通り道に1053個の落とし穴の設置願いが出されています。
ほか、安芸郡倉橋島の事例では、稲作と畑作用に番小屋を設置していて、稲作の番小屋は延べ72,000人、畑作用は22,000人を動員しています。

でもやっぱり鉄砲での駆除が1番

明治12年、山陰でたたら製鉄を行っていた鉄師田部家の方が「東京日々新聞」に「猪害防御法質問」を投書したところ、静岡県富士郡猟師より銃殺以外に方法はないと便りが来て、結局8名の猟師を招いたのだそうです。
やはり鉄砲で駆除するのが一番の解決策と考えられており、江戸時代にも実際にそうされました。

具体的な成果

広島県(安芸郡蒲刈島)の事例ですが、
宝永3(1706)年にイノシシ討ち援助願いが出され、鉄砲打ち10人による3月1日〜8月31日までのイノシシ討ち計画が建てられました。
藩より火薬、鉄砲玉の下げ渡しを受け、飯米代の貸付も受けていたようです。
結果、
10日間で親猪66匹。腹籠もり子猪73匹。計138匹(あとで12匹追加で計150匹)。を討ち取っています。
動員人夫は延べ4022人。
 
江戸時代の山村では、これだけの動員をかけて徹底的にイノシシ駆除を行ったのです。

イノシシ狩りの費用の変遷 

江戸時代の初期は藩による助成がありましたが、江戸時代も後半になると、藩からイノシシ猟の資金をもらう形はなくなっていきます。

農民たちが自主的に年貢徴収とは別に村の費用として徴収し、資金をプールしてイノシシ猟を行うという体制に切り替わって行くのです。

主な参考文献

塚本学『生類をめぐる政治』(平凡社ライブラリー、1993年)
中澤克昭編『人と動物の日本史2〜歴史のなかの動物たち〜』(吉川弘文館、2009年)
水本邦彦編『環境の日本史4〜人々の営みと近世の自然』(吉川弘文館、2013年)
佐竹昭『近世瀬戸内の環境史』(吉川弘文館、2012年)
泉雅博『海と山の近世史』(吉川弘文館、2010年)
柳田国男・倉田一郎『分類山村語彙』(国書刊行会、昭和50年)

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