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藩札とは何か?

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

藩札というのは、大名の領地内で通用する基本通貨として、藩が発行した紙幣のことです。

多くは幕府の正規の貨幣(金・銀・銅貨)といつでも交換できる仕組みにすることで、その価値を保障していました。  

藩札の発行状況 

明治4年の調査では、244藩・14代官所・9旗本領で発行されていて、これは全国の藩の約8割にあたります。

金・銀・銭の貨幣は幕府が発行していましたが、基本的にこれらは大坂や江戸などの大都市中心に流通していました。
結果、各藩の領地内では貨幣が十分に流通しておらず、商取引がスムーズにいかないという問題があったのです。

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しかし、新井白石によって宝永4(1707)年に一度、発行禁止令が幕府から出されます。
前の時代の元禄時代、勘定奉行の荻原重秀が行った貨幣改鋳によって、インフレが発生したことを問題としたのです。

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新井白石の失脚後、8代将軍吉宗は政権後期にあたる享保15(1730)年に、貨幣政策をデフレ政策からリフレ政策に切り替えます。

このタイミングで藩札も解禁されました。

その後、明治時代まで藩札は発行され続けるのです。

藩札発行の理由

藩札の発行の理由は大きく7つありました。

1、領内の通貨不足を解消するため
2、近隣の藩からの藩札の流入を防止するため
 
3、藩の財政収入を補填(ほてん)するため
4、藩士や領民の救済のための貸し付け資金を確保するため
5、特産品の専売制を行うのに必要となる生産者への事前融資の資金を調達するため
6、貨幣経済の浸透とともに高まってきた、小額紙幣としての銀・銭貨の不足に対応するため
7、貸付の利息の獲得を通じて、藩財政の立て直しを図るため

もっとも多い理由は5つめの特産品の専売制のための資金調達でした。

特産品の専売制は苦しい藩財政を立て直すだけでなく、幕府の正規通貨を獲得するための手段としても、藩にとっては非常に大切な事業だったのです。

2種類の発行形態

藩札の発行形態には2種類のスタイルがありました。

まずひとつめは、専一流通といいます。


領民に対して、彼らが持っている幕府の正貨(金・銀・銅貨)と藩札との交換を義務づけ、藩札だけしか領内では使えないようにするスタイルです。

これによって領内にあったすべての幕府の正貨を藩が管理することができます。
藩札と交換するための 準備として、3分の1程度の正貨を残して、それ以外は財政赤字の補填や借金の返済資金にあてられるというメリットがありました。

ふたつめは混合流通といいます。

これは幕府の正貨と藩札を併用するスタイルです。

藩財政の赤字補填としての性格が強く、年貢収入を超える額の藩札発行が行われると、とたんに価値が暴落するため、庶民は防衛策に追われました。

藩札発行の基本ルール(専一流通の場合)

専一流通の場合の藩札発行の基本ルールは大きく5つありました。

1、領地内における幕府の正貨の流通禁止
2、個人間の正貨と藩札の引き替え取引の禁止
3、藩札から正貨への引き換えは藩外への支払い目的を除いて禁止
4、藩士の禄、給料などはすべて藩札で支給する
5、年貢など藩政府への支払いは藩札で行う

このように専一流通の場合、完全に藩が領地内の金融政策を掌握することを目的に行われました。

2種類の発行体制

藩札の発行体制は大きく2種類あります。

まずひとつめは、藩による直接発行です。

藩が直接、藩札を発行しますが藩だけでは信用力が弱いため、発行や引き替え事務を行う札元に城下町や大坂などの豪商を起用する事が多くありました。
そして札元になる豪商は、藩札と正貨との交換準備用の資金を貸し付けることで利益を得ていました。


ふたつめは有力商人による請負発行です。

藩内外の有力商人が藩札発行を請け負って、請け負った商人が藩札と正貨の交換資金の準備や調達・確保を行います。

請け負い商人に運上金を納入させることで、藩は藩札を発行する権限を商人に与えました。

また、藩札と商人札の混合の藩もありましたが、信用度は圧倒的に商人札が高かったのだそうです。
 

加賀藩の場合

加賀藩では、
田沼時代の宝暦期にまずは専一流通での藩札導入が行われます。

しかし、一時中断。

その後、今度は混合流通のスタイルで再導入します。


金沢の米市場の活発化を目的としての導入だったと言われています。

主な参考文献

鹿野嘉昭『藩札の経済学』(東洋経済新報社、2011年)

中野節子『加賀藩の流通経済と城下町金沢』(能登印刷出版部、2012年

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