1. HOME
  2. ブログ
  3. 明治キリスト教解禁事情

明治キリスト教解禁事情

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

キリスト教が江戸時代禁止になる過程は割とみなさんご存知だと思うのですが、解禁の過程は意外とみなさんご存知ないのではないかなと思うのです。

明治時代になんとなく解禁になったんじゃないかな?

みたいな。

まあ間違ってはいないのですが、解禁になった直接のきっかけについてはあまり知られていないように思います。

今回はそんなお話。

最初のきっかけはやっぱりペリー

Matthew_Calbraith_Perry
*ペリー(Wikipediaより)

キリスト教が解禁になるきっかけはやはり、ペリーの来航です。

その後、アメリカ合衆国総領事ハリスやオランダ商館長クルティウスによって、安政4(1857)年にまず、長崎だけですが絵踏制度の廃止の布告が出されます。

ebumi

翌年、日米修好通商条約調印とともに、アメリカ人居留地でのキリスト教信仰が認められます。

Nagasaki_Oura_C1378
*大浦天主堂(Wikipediaより)

これを気に、長崎の居留地では元治2(1865)年に大浦天主堂が完成。

同年2月。
浦上の隠れキリシタン一行が協会を訪れ、キリシタンであることを神父に告白。
少しずつ、キリシタン禁制は崩れていきます。

しかし結局、江戸時代を通して全国的にキリスト教が解禁になることはありませんでした。

明治元(1868)年、明治政府成立

幕府が倒れてから明治政府は五榜の掲示を全国に触れます。

しかしここにも「キリシタン宗門制禁」の文字があり、キリスト教はまだ解禁されません。

浦上の隠れキリシタンも、明治政府によって流罪とされるのです。

明治政府は基本的に神道を普及させたかったので、キリスト教は江戸時代と同様に禁止されたままだったのです。

Iwakura_mission
*岩倉使節団(Wikipediaより)

この状況に変化が訪れたのは、やはり外圧です。

岩倉具視を全権大使とするいわゆる岩倉使節団が、諸外国で浦上キリシタン問題を激しく追求されたのです。

結果、急ぎ岩倉具視は留守政府に打電。

明治6(1873)年2月。

キリシタン禁制の中止を求めます。

しかしまだ完全にキリスト教が許された訳ではなく、その後もキリスト教の弾圧は続きました。

その後、明治22(1889)年の大日本帝国憲法の発布によって、ようやく括弧付きながら「信教の自由」が認められます。

ここでようやく、キリスト教は本当に解禁されるのです。

参考文献

村井早苗『日本史リブレット37 キリシタン禁制と民衆の宗教』(山川出版社、2002年)

関連記事