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加賀藩主前田家の氏神、金澤神社(兼六園内、兼六町)

金澤神社は加賀藩11代藩主の前田治脩(はるなが)が寛政6(1794)年に建てられました。

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兼六園の現在の梅林の地に藩校の明倫堂が出来たとき、学問の神様でもあり、前田家の先祖でもある菅原道真を祀る神社を建てたのがきっかけです。

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金沢の語源と言われている、金城霊沢の側に建てられました。
この金城霊沢、冬至の日には黄金に輝くのだそうです。

その後、兼六園に竹沢御殿が建てられるようになり、藩校は移転するのですが、神社は今度は前田家だけの神社として祀られるようになりました。

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明治7年に兼六園が一般公開されるまでは、ずっと前田家だけの神社だったのです。

ですので、

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このような奉納の額も、一切何の記載もない物は藩政期のものだとすぐに分かるのだそうです。

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本殿には橋がありますが、本来この建物は2つで、橋でつながっていたのだとか。

ひとつの建物になったのなら、橋はなくせば良いのにと思いますが、室内にまだ橋があるのは、天神さんの様式として、橋が2つ必ず必要で、過去、現在、未来をつなぐ橋なのだそうです。

室内に獅子と狛犬がありますが、結構昔は室内にあったんだとか。時代が下るにつれ外に置くようになったとのこと。

また本殿の木は松の木。
加賀藩の御用材だったため、あえて松の木を使ったんだそうです。

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天井には花鳥草木の絵が。

また、手前の天井には、

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白蛇竜神の絵。

光がなくても美しいようにアクリル画なのだそうで、さすがに神主さんも大丈夫かな?と前田家の当主の方にお伺いをたてたら、

「前田家はカブキ者の家だから大丈夫」

と言われて、OKだったんだそうです。

尾山神社のステンドグラスといい、金沢神社といい、金沢って意外とアバンギャルドですよね。そういうところ好きです。

この絵は山田俊一さんという方の作品。

ヒンズー教の行者は修行の際、2ヶ月熱が出るのだそうですが、この方も製作中2ヶ月熱が引かず、まるで神懸かりのような状態で描いたのだとか。

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この琴平神社の額は、もうなくなってしまった琴平神社のものですが、どうもこの神社は八坂の辺りにあったようです。

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こちらは明治時代に、「山川社中」という寺子屋が奉納したもの。

中には習字の清書が入っているのだそうです。

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こちらは加賀藩12代藩主の前田斉広(なりなが)が奉納した額。

本物の群青(アズライト)が使われています。

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境内には、お稲荷さんがあります。

白阿紫(はくあし)稲荷大明神。

このお稲荷さんはご神体が隕石という説があるらしく、ものすごい重いのだとか。

前田家の方の信仰もあつく、前田家が東京に移られるさい、一緒に一回持って行ったのですが、やはりここにあってほしいとの地元住民の願いから戻されたのだそうです。

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ちょっとお祈り。

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境内には、12代藩主斉広の奥様が能登から取り寄せたとされる、いぼとり石があります。

いぼだけじゃなく、心の邪念のいぼもとれるみたいですよ。

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