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転勤族のルーツは織田信長にあった?

私たち日本人は辞令一本での転勤や人事異動というのは結構当たり前にあるものだと感じていると思います。

しかし、アメリカなどではあまり一般的ではないのだとか。

では、なぜ日本では当たり前なのでしょうか?

まず言われるのが、日本は(ほぼ崩壊したとはいえ)終身雇用が前提にあるということです。
そのため、転勤や人事異動を頻繁にする必要があるのだそうです。
理由としては大きく3つあります。

1、解雇できないため、余剰人員を転勤という手段で調整する
2、社員の待遇をなるべく平等化する
3、狭い人間関係を定期的にリセットする

*池田信夫blog

確かに納得のいく説明ではあるのですが、もっと古い時代にルーツをたどってみる事はできないでしょうか?

転勤族のルーツは江戸時代の武士?

私は江戸時代の武士こそが現在の転勤族のルーツなのではないかと考えます。

江戸時代の武士は、戦国時代以前の武士と比べて圧倒的な違いがありました。

ではその違いとはなんでしょうか?

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江戸時代の学者であり、政治家としても有名だった藤田東湖はこう言っています。

江戸時代の武士は

「鉢植えの武士」

であると。

将軍が大名を転封するという命令を出せば、大名はすぐにそれまでの領地を離れて新しい所領に移らなくてはなりません。そして家臣もこれに従わなくてはなりませんでした。

つまり「土」から切り離された存在だという意味です。

では逆に、中世の武士はどうだったのでしょうか?

中世の武士は基本的に地域に土着していた人々でした。

本来は武芸という職能を武器に貴族に仕えていた武士ですが、後には自ら土地を開発して統治する領主としての性格が強くなります。

そのため、先祖伝来の土地を離れるという事はありえませんでした。

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*NHK大河ドラマ「軍師勘兵衛」より

昨年の大河ドラマ「軍師勘兵衛」でも、村田雄浩演じる宇都宮鎮房が秀吉から転封を命じられるも断固拒否し、勘兵衛を困らせたことは記憶に新しいのではないでしょうか?

織田信長の画期性

では、このような「鉢植えの武士」を作り上げたのは誰でしょう?

古くは現在の福井県の戦国大名である朝倉氏の法令である「朝倉敏景十七か条」に、所領を多く持っている者は一乗谷に引っ越すようにとの条文があります。

Odanobunaga

しかし、もっとも大規模に行い、世の中全体を変えるきっかけとしたのはやはり、織田信長といってよいのではないでしょうか?

織田信長はその領地を拡大するたびに、居城を変えてきました。

まず勝幡城、那古野城、清須城、小牧山城、岐阜城、安土城です。

那古野城や清須城の頃までは、織田信長も有力家臣連合の代表という感じで、城の近辺に有力家臣がそれぞれに館城を建てていました。

桶狭間合戦後、小牧山城移転の際に初めて織田信長は直臣の城下移住を指示します。

また、織田信長はその後も岐阜城、安土城と城を移転するたびに直臣も移住させます。

このように本拠の移動にあわせて異動する習慣を直臣につけさせたのです。

織田信長の兵農分離政策

また同時に、織田信長は兵農分離を進めたと言われます。

当時は身分があいまいな時代で、農民と武士の違いはあまりありませんでした。
そのため、田植えや稲刈りなどの時期は戦闘ができないなどのデメリットがありました。

しかし、織田信長は農民と武士を分け、専業の兵士を確保。

季節を問わず戦闘を行える軍隊を編制したとされます。

このことは同時に、土地に縛られずどこでも行ける軍隊の誕生でもありました。

こうして織田信長は戦局に応じて自由に動かせる軍隊を持つことで天下統一に向かって行ったのです。

この流れはその後も豊臣秀吉、徳川家康と引き継がれていき、江戸時代に至って完全に武士は土地から離れた存在。

「鉢植えの武士」

になってしまうのです。

このような江戸時代の武士のあり方が、現在の日本企業の頻繁な人事異動や転勤のルーツといえるのではないでしょうか?

主な参考文献

石井進『中世武士団』(講談社学術文庫、2011年)
千田嘉博『戦国の城を歩く』(筑摩書房、2003年)
千田嘉博『信長の城』(岩波新書、2013年)

 

 

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