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【歴史トーク】江戸の読書事情〜素読から会読まで〜

私は経営コンサルタントであり作家である神田昌典さんが発起人の、一般社団法人Read for Action協会という日本最大級の読書会グループのリーディングファシリテーターもやっています。

*Read for Action協会ホームページ

ここでは名前の通り「行動のための読書」をフォトリーディングという速読の手法を応用しながら、本を参加者全員で読み、対話をすることで理解を深めています。

そんな活動をしていて思うのが、やはり江戸時代の人はどんな風に読書をしていたんだろう?

ということ。

前田勉さんの『江戸の読書会』(2012年、平凡社)という本からご紹介します。

まず江戸時代の本の読まれ方として、知っておいて欲しいのが、

江戸時代までは音読が主流で、黙読の習慣は明治以後のことだということ。

本を黙って読むのは歴史的には最近のことなのです。

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「図書館は静かに!」

というのは、明治時代以後の習慣なのだと言えるのです。

*とはいえ、くれぐれも図書館で大音量で音読するのはやめましょうね。
 

江戸時代の学習方法

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大坂の医者、緒方洪庵が開いた適塾の学習方法からまずはご紹介します。

適塾での学習方法は大きく3段階ありました。

まず最初は素読(そどく、すよみ、そよみ)です。

素読は読書の初期段階。
7・8歳頃に行います。
意味や内容を解釈はしません。
ただただ暗誦することをまず求めました。

第2段階は講釈です。

15歳前後くらいからこの段階になります。
これは先生が生徒に書物の一章または一節ずつを講義して聞かせる形式です。

最後の第3段階が会読です。
これは素読を終了したレベルの者によって実施され、江戸時代中期の荻生徂徠という人が始めた学び方です。

会読はひとつの部屋に集まり、決められた経典の決められた章句を中心に、互いに問題を持ち出したり、意見を戦わせたりして集団研究をする共同学習の方式です。

適塾ではこの3通りの学び方がありました。

2種類の会読

会読にはテキストを講ずる会読と読む会読の2種類がありました。

まずは講ずる会読(輪講)です。

7・8人が1グループで、順番をくじで決め、テキストの当該箇所を講義します。
他の者が質問をし講義者が答える形式で、今でいえば大学のゼミのようなものでしょうか。

もう1つは読む会読です。

これは難解な書物を共同で読むことで、テキストの正確な解釈ができるかどうかを追求しました。

扱ったテキストは史子類や詩文集でした。
学問を好む仲間のたのしみのための本読み会というような形でした。

「今時の書生輩の会読というは、自己に書を読ことせずして、会読を以て読書とする」 

しまいには、こんなことが言われるようになります。
逆に言うと、自分で読まなくてもみんなで読むことで理解してしまおうという学び方が盛んになったのです。

遊び・学問の世界から政治問題の討論の場へ

江戸時代も後半の19世紀になると、会読のあり方に変化が生まれます。

遊び・学問の世界から政治問題を討論する場へと変化したのです。

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その代表的な例が、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」でも描かれた、吉田松陰の松下村塾です。

吉田松陰は江戸で毎日読書会に参加していたこともあって、獄中でも孟子をテキストに会読を行いましたし、松下村塾では米をつきながらの自由な会読を行っていました。

ここでは読書の際に「疑い」を持つことの重要性が説かれました。

加賀藩でも上田作之丞の私塾である拠遊館などで実施され、儒学の経書を目の前の政治的な諸課題に活用することを目標に会読を行っていたのです。

このような学び方だったため、吉田松陰の松下村塾を始めとする幕末の塾の教師は、いわゆる先生のような役割ではなく、今で言うところのファシリテーターのような存在だったのです。

明治の転換 

では、なぜ明治以降の教師は今で言う先生のような役割に変わっていったのでしょうか?

明治以降の教育は寺子屋ではなく、藩校の教育方法が受け継がれて行きました。
そのため、当初は小学校でも会読が学びの方法として採用されました。
しかし小学校にファシリテーションは難易度が高く、いつのまにか消滅。

以後は西洋より教授方法の指導が行われるようになり、現在につながっていくのです。

そしてまた時代の変わり目である現在、また幕末の会読のような読書会が生まれ、広まっていることは歴史の必然なのかもしれません。

*スキルアップのための読書会in金沢

参考文献


前田勉『江戸の読書会』(2012年、平凡社)

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