なぜ中世の日本は貨幣をつくらなかったのに、江戸時代になると突然貨幣を自国でつくるようになったのか?

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
中世の日本では中国から輸入した銅銭を使っていましたが、江戸時代には自国で貨幣をつくるようになりました。
東日本は金貨、西日本は銀貨を使い、銅貨は全国で流通したことはみなさんご存知かと思います。
でも、よくよく考えると色々と疑問が湧いてきます。
なぜ中世の日本では自国で貨幣をつくらなかったのか?
なぜ江戸時代には逆に自国で貨幣をつくるようになったのか?
なぜ東日本と西日本で貨幣が違うのか?
まずは最初の疑問、中世の日本でなぜ自国で貨幣を作らなかったのか?
という理由から解説してみます。
目次
中国大陸の情勢
それは中国大陸の情勢がからんできます。
1270年代。中国大陸は宋という国から元という国に王朝が交代しました。
そして元という国が貨幣ではなく紙幣を使用したので、大量の銅銭が使われずに余ってしまったのです。
*宋銭(Wikipediaより)
そこで、日本を含む周辺諸国に銅銭が輸出されました。
結果、質の高い銅銭が大量に入ってきたため、中世の日本は一切自国で貨幣を作る必要がなくなったのです。
この中国大陸からの銅銭の流入によって、鎌倉時代後半の日本は貨幣が十分に行き渡ったために、地価も上昇し、好景気に沸いたのだそうです。
南北朝期以降は銅銭の流入が減少
しかし、こんな時期もいつまでもは続きません。
14世紀の後半(南北朝期)頃には、中国大陸の銅銭は在庫がなくなってしまい、銅銭が日本へ届かなくなってしまうのです。
結果、15世紀頃までの日本はデフレになってしまい、買い物をしたくても貨幣がないため経済も停滞してしまいました。
そんな状況をなんとかするために、私鋳銭と呼ばれる銅銭が民間で製造されるようになります。
しかし製造技術があまり高くなかったため、質の悪い銅銭が多く流通するようになったのです。
結果、庶民は特定の種類の銅銭だけを選り好みするようになりました。
これまでは銅銭の形をしていたら金属としての価値は関係なく一文だったのに、銅銭の種類によって価値が変化するようになったのです。
織田信長の時代では、同じ銅銭でも大体4段階くらいにわかれていたのだそうです。
高額取引は銅から米、米から銀へ
このようなややこしい状況だったので、1570年前後になると高額の取引ではとくに西日本中心に銅銭を使わなくなり米で決済をするようになります。
銭使いから米使いへと変化したのです。
その後は16世紀末から17世紀初頭にかけて、西日本での高額取引は米使いから銀使いへと変化していきます。
西日本で銀が使われたのはなぜか?
この西日本の銀使いに関しては、当時中国大陸では銀が主要な通貨として使われていたことが理由のようです。
大坂・京都の商人の力を無視できなかったからというような説明がよくされていますが、そもそも大坂・京都の商人がなぜ銀を使いたかったのでしょうか?
それは江戸時代の初頭までは、まだ日本は鎖国をしていなかったことが原因です。
中国だけでなく、フィリピン、ベトナム、タイ、カンボジアなど東南アジアをまたにかけた貿易が西日本の商人を中心に行われていました。
海外貿易で使用するのがが銀だったため、西日本の商人は金使いには抵抗を示したのです。
こうして、高額の取引は東日本は金、西日本は銀となりました。
では、残った銅銭はどうなっていくのでしょうか?
江戸時代の銅銭の使われ方
銅銭は引き続き少額の取引には活発に使われました。
東日本は価値の高い永楽通宝、西日本は価値の低い悪銭(びた銭)の流通が中心となっていましたが、江戸時代の初頭は悪銭の方に永楽通宝の価値をあわせるという政策がとられます。
流通量が多い悪銭(びた銭)をメインにすることで、銅銭の流通量を減らさないことが目的でした。
しかし、それでも江戸時代初頭には各地域で少額貨幣が不足。
領内だけで通用する銀貨や藩札、銭貨を発行する藩も多くありました。
*寛永通宝(Wikipediaより)
そんな状態を解決するために行われたのが、3代将軍徳川家光による寛永13(1636)年の寛永通宝の発行です。
でもいくら流通量が少なかったからといって、なぜわざわざ江戸幕府が銅銭を自分でつくらなくてはならなかったのでしょうか?
銅銭発行のきっかけは参勤交代
江戸幕府による寛永通宝発行の理由は参勤交代だったと言われています。
当時、徳川家光は参勤交代を制度化しようとしていました。
しかし、大量の武士が移動するためには各宿場町で彼らが使う少額貨幣が足りませんでした。
また、当時家光は京都に上洛した際に、近江国(滋賀県)の坂本というところが良質の銅銭を作っていることを発見します。
参勤交代の制度化で少額貨幣が大量に必要だったときに、それらを高品質で安定供給できるところを発見したのです。
結果、寛永通宝は広く全国に普及。
以後、銅銭は全国的に安定供給されるようになるのです。
主な参考文献
安国良一「貨幣の機能」(『岩波講座日本通史 第12巻』岩波書店、1994年所収)
桜井英治「銭貨のダイナミズム―中世から近世へ―」(鈴木公雄 編『貨幣の地域史』岩波書店 2007年所収)
黒田明伸『貨幣システムの世界史<非対称性>をよむ』(岩波書店、2014年)
藤井譲治「近世貨幣論」(『岩波講座日本歴史 第11巻』岩波書店、2014年所収)