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【歴史トーク】聖徳太子の謎(前編)聖徳太子はいなかった?

聖徳太子はいなかった!

最近よくそんなことが言われますが、実際どういう理由でそう言われているのでしょうか?

今回は、大山誠一さんの『聖徳太子の誕生』という本からその謎を解説していきます。

聖徳太子とはどんな人?

聖徳太子といえば、山岸涼子さんの『日出処の天子』が有名ですね。

最近ではビリギャルの主人公が「しょうとくたこ」と読んで爆笑をさらいました。

そこで念のため、まずは聖徳太子についておさらいしてみましょう。

聖徳太子は、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日)に生まれ、推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に49歳で死去したとなっています。

用明天皇の第二皇子で、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。

エピソードとしては、以下の7つくらいが有名なところかと思います。

 1.馬小屋で生まれたので厩戸皇子・厩戸王と呼ばれる。

 2.推古天皇を助けて、冠位十二階、憲法十七条を作成。

 3、蘇我馬子と強調して政治を行う。

 4、遣隋使を派遣、大陸の文化や制度を取り入れる。

 5.仏教を保護し、広めた。

    6.一度に十人の話を聞き、豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)とも呼ばれる。

 7.法隆寺を建立。

聖徳太子はいなかった?

大山誠一さんは言います。

厩戸王は実在するが、聖徳太子は存在しない!

どういうことか?

その説明として、大山誠一さんは一休さんの事例をあげています。

Unknown

一休宗純は実在するが、

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とんち坊主の一休さんは実在しない。

つまり、厩戸王という人は確かに実在しましたが、聖徳太子という人のエピソードはほぼフィクションなのだというのです。

厩戸王について確実なこと

大山誠一さんはいいます。

厩戸王について確実に史実だと言えるのは、以下の内容だけなのだと。 

1、用明天皇と穴穂部間人王(あなほべのはしひとおう)との間に生まれた王族

2、敏達3甲午(574)年に生まれた

3、推古9(601)年に斑鳩宮を造り以後そこに住む
  近隣に斑鳩寺(法隆寺)を建立した

4、斑鳩宮は皇極2(643)年に全焼。斑鳩寺は天智9(670)年に消失


たったこれだけなのです!

まじか!

という感じですが、これでも飛鳥時代の人としてはわかっていることが多いほうなのだとか。

これまでも聖徳太子への疑問はあった

聖徳太子って本当にいたの?

という疑問は実は江戸時代からありました。

江戸時代:憲法17条は聖徳太子の作ではないという説が発表される。

明治時代:久米邦武の研究で、聖徳太子関係の史料は仏教徒による創作が多いとされる。

昭和時代:津田左右吉の研究で、『日本書紀』の聖徳太子の事績の多くが疑問とされる。

戦後  :藤枝晃の研究で、『三経義疏』のひとつ『勝鬘経羲疏』が中国成立と実証される。

聖徳太子に関する資料への疑問

そして、大山誠一さんも数々の史料から疑問を投げかけます。

その内容は大きく7つ。

1、聖徳太子に関する最古の史料のツートップ「日本書紀」と法隆寺に保存されている資料の謎

まずこの2つの史料。中身がまったく一致しないのです。
また中身が矛盾するものもあります。

聖徳太子の命日も、622年2月22日と書いているのは法隆寺の史料だけで、「日本書紀」には621年2月5日とあるのだそうです。

2、法隆寺に残る聖徳太子関連資料の謎

なぜか、天武・持統天皇の時期からしか、その存在が確認できない。
そもそも斑鳩宮も法隆寺も全焼しているのに、なぜ資料が残っているのか?

3、憲法17条の謎

当時は中国の文化がまだ入ってきていなかったのに、中国古典の引用が多数ある。

当時は存在しなかったはずの「国司」(大宝律令で設定)の役職が存在する。

4、法隆寺系の資料で和風諡号が使われている謎

用明天皇をタチバナトヨヒなどと呼ぶことを和風諡号と言います。

しかし、その使用例は「古事記」や「日本書紀」が最古なんだとか。

その前の時代の人である聖徳太子の時代の資料になぜ存在するのか?

5、法隆寺系の資料で「天皇」号が使われている謎

聖徳太子の時代は「大王」のはずなのに、なぜか「天皇」の文字がある。

6、「三経義疏」が天平19(747)年に突然出現する謎

聖徳太子の死後120年がたった時期に突然、聖徳太子直筆の書として出現する謎

7、「日本書紀」の聖徳太子の記述箇所が微妙な謎

「日本書紀」では、聖徳太子は「皇太子」として記載されるのですが、賓客の接待や儀式などの歴史上の事実として間違いない箇所では、まったく参加者として名前が出てこない謎

これだけの内容から、聖徳太子はフィクションだったと断定するのですが、この本の面白いところはここからです!

誰がなぜ聖徳太子のストーリーを創作したのか?

という謎解きが始まるのです。

この内容については、後編にて書いていきます。

*後編はこちら

参考文献

大山誠一『聖徳太子の誕生』(吉川弘文館、1999年)

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