【歴活までの道】歴活を始めるまでの物語
以下は、金沢歴活をはじめるまでの安藤のストーリーです。
長文です。
ご注意ください。
目次
- 1 金沢歴活をはじめるまで
- 2 歴史を学ぶ原体験
- 3 江戸時代をなぜ専攻したのか?
- 4 本格的に歴史研究にはまったのは?
- 5 大学院時代の苦悩
- 6 一所懸命の会社員時代
- 7 普通の幸せを求めて
- 8 朝活との出会い
- 9 婚活パーティで朝活@金沢と出会う
- 10 初めての社外活動
- 11 Read For Actionとの出会い
- 12 読書会に参加したもうひとつの理由
- 13 読書会での出会い
- 14 2回目の読書会
- 15 初めての古文書講座イベントを開催
- 16 初めての古文書講座当日
- 17 まちヨミin金沢の実行委員になることに・・・
- 18 仕事の進め方のギャップに驚く
- 19 まちヨミだよ!実行委員全員集合♪
- 20 金沢歴史さんぽイベントを朝活@金沢で開催
- 21 まちヨミ集客の苦労!
- 22 まちヨミin金沢で未来新聞を描く
- 23 3ヶ月連続新店オープンを担当する!
- 24 退職を決意も・・・
- 25 とはいえ、やはり限界・・・
- 26 上司からの説得
- 27 第2回まちヨミin北陸を開催
- 28 まさかの群馬転勤
- 29 またまたお世話になった先輩が上司に・・・
- 30 仕事の進め方のギャップに驚く
- 31 まちヨミin北陸の苦悩
- 32 リーディングファシリテーターになることに
- 33 歴史的大雪で参加できず
- 34 退職を伝える
- 35 「働き方改革」は予想通り一瞬で崩壊
- 36 とうとうリーディングファシリテーターに
- 37 まちヨミin北陸
- 38 そして退職へ
金沢歴活をはじめるまで
私は兵庫県の神戸市で生まれました。
しかし、生まれてすぐに明石市のマンションに引っ越し。
そして小学校1年時には、両親がマイホームをニュータウンに購入しました。
自然は豊かでしたので、広場での野球、缶蹴り、虫取り、秘密基地作りなど楽しい少年時代を過ごすことができました。
あるとき小学校の授業が自習になり、図書室の本を各自読むという授業がありました。
そんなときの男子のおきまりのパターンですが、小学校の図書室にはたったひとつだけ漫画が置いてありました。
それが「まんがで読む日本の歴史」です。
私も今でこそ本を読むことは大好きですが、当時はまったく本を読む習慣はありませんでした。
私も友達と同様に、本は難しいからを読みたくない!
という理由で、「まんがで読む日本の歴史」を手に取りました。
そのとき歴史の面白さに目覚めてしまったのです。
もっともっと昔のことを知りたい!
と思いました。
歴史を学ぶ原体験
しかし私はニュータウン育ちです。
自分の育った町が出来たのは高度成長期。
あまりの歴史のなさにショックを受けました。
また、両親と祖父母の関係が良好ではなかったこともあり、私自身の家の歴史もあまり伝わっていませんでした。
地域・家系ともに昔から積み重ねられたものがない。
このことは私にとってとても悲しいことでした。
これがおそらく、私が歴史学を学んでいる原体験なのかなと思います。
江戸時代をなぜ専攻したのか?
その後、中学生になると歴史男子のおきまりでもありますが、信長の野望という歴史シュミレーションゲームにはまります。
そして高校時代は司馬遼太郎や池波正太郎などの歴史小説にはまるようになります。
とくに池波正太郎にははまってしまって、鬼平犯科帳や剣客商売など、主人公の生き方の格好良さにしびれました。
その影響もあって、江戸時代の研究を志すようになります。
本格的に歴史研究にはまったのは?
大学3年時、恩師の勧めで兵庫県三田市市史編纂課にて古文書整理のアルバイトを始めるようになります。
学芸員の方や先輩方から教えていただく歴史学の面白さや、実際に古文書を読んでいくことで見えてくる地域の歴史の面白さに、私はすっかりやられてしまいました。
もっともっと学びたい!
と思った私は迷わず大学院へ進学します。
しかしそこからが大変でした。
大学院時代の苦悩
大学院時代は迷いの連続でした。
当時は世間のことを何も分かっていない本当に若造でしたし、自分自身が本当にやりたいことをやるにはスキルがまったく足りず、ただただ立ちすくむばかりでした。
また2回生のときに両親が病気になり、介護をしなくてはいけなくなりました。
学びよりも、まずは安定した給与が手に入る環境を確保することが私には必要でした。
でも、今まで就職活動なんてほとんどしてないし、自己分析も企業研究も何もしていない。とにかくがむしゃらに面接を受けまくりました。
正直、介護でずっと家にいることに嫌気がさしていたので、とにかくにぎやかな仕事がしたいなと思い、ファーストフードチェーンの会社に入社しました。
父が焼き鳥屋をやっていたので、役に立つかもしれないなと思ったし、お店の経営の経験は、博物館の集客やミュージアムショップの経営などにも将来活かせるんじゃないかと思ったからです。
一所懸命の会社員時代
会社員時代はとにかく一所懸命でした。
どの会社でも素晴らしい上司や、切磋琢磨した同期、お客様に恵まれました。
辛いこともたくさんありましたが、それなりに良い会社員人生だったのかな?
なんて今となっては思います。
でも金沢に転勤になって4年目くらいからでしょうか?
金沢の歴史や遺跡、町並みを見ていると、会社員をやっているのがだんだん苦痛になってきました。
なぜ自分はこんな素敵なものに囲まれているのに、歴史の仕事を何もしていないの?
何かやってみようと思いました。
普通の幸せを求めて
ちょうどこの頃、おつきあいしていた女性と別れた事も理由の一つでした。
理由は色々あります。
私はその頃、「普通の幸せ」を求めていました。
かわいい女の子とおつきあいして、結婚して、子供を作って・・・
みたいな人生が私の当時思っていた「普通の幸せ」です。
そのためにはサラリーマンじゃないといけないと思ってましたし、一応一部上場企業に所属していたので、絶対ここにいなきゃ!と思っていました。
でも、うまくいきませんでした。
彼女や彼女のご両親はそんなものに価値を求めていませんでした。
転勤は多いし、激務なのでいつも疲れているし、しかも親の病気もあって、私のスペックは自分で思っているよりも低かったのです。
朝活との出会い
こんな状態だった私ですが、正直じゃあまず何をしたらよいのか!
まったく想像がつきませんでした。
そんなとき、ある本を本屋さんで見つけました。
美崎栄一郎さんの『会社って楽しい?』
という本です。
この本で、朝活というものがあることを知りました。
朝活というのは、朝出社する前にカフェなどに集まって、それぞれがスピーカー役となって学びあうというものです。
ぜひ参加してみたい!
と思いましたが、なかなかどこでやっているのか見つけられませんでした。
しかし思わぬ場所で、金沢でも開催していることを知ります。
婚活パーティで朝活@金沢と出会う
当時、彼女を見つけたいという思いと、婚活パーティは自分でも起業して食べていくには参入しやすいビジネスかなという思いから、何回かリサーチもかねて参加していました。
そこで仲良くなった男性が、朝活@金沢に参加していたのです。
すぐに参加したかったのですが、その頃は仕事が朝早かったので、まずは関連しているイベントに参加しました。
初めての社外活動
はじめて参加したイベントは、「Do Suport」というグループの企画した
「2つの名刺を持ちましょう」
という本を書かれた後藤光正さんの話を聞くイベントでした。
そこで聞いた内容も素晴らしかったですが、そこで今でも仲良くさせていただいている友人に出会えたことが、私にとってとても素敵なことでした。
当時、鬱々としていた私には、そうやって仕事をしながら社外の勉強会に参加したり、なんなら勉強会を企画している人の姿はとてもまぶしく見えました。
初の社外勉強会を体験し、どんどん他のイベントにも参加してみることにしました。
Read For Actionとの出会い
あるとき、私がファーストフードチェーンの店長時代から、お店の売上アップの方法を学んできた神田昌典さんの講演会が金沢であることを知ります。
その日は節分の日で、当然セブンイレブンは恵方巻をいっぱい売らなきゃいけない日なので、本当は行ってる場合ではなかったのですが、どうしても行きたくて無理矢理参加しました。
ここでも、素敵な出会いがありました。
Read For Action読書会です。
*Read For Action読書会についてはこちらをご覧ください
講演会のあとの懇親会で、こんな読書会をするから参加しない?
と誘われたのです。
私はこういう場所に参加した経験がこれまでほとんどなかったですから、そんなすごい人たちが集まるような場所に参加したらバカにされるんじゃないか?
と、ものすごく不安でしたが、当時の私はとにかく変わるためのきっかけが欲しくてしょうがなかったので、
「恥をかこうが何だろうがとにかく行ってみよう!」
そう思い、彼がFacebookのイベントを立ち上げて招待してくれたとき、まったく自分のスケジュールを確認することなく、5秒くらいで「参加する」のボタンを押していました。
たぶんあまりの早さにびっくりされたと思います。
おそらく私の懇親会での様子からは、そんなに積極的に参加するようには見えなかったでしょうから・・・
読書会に参加したもうひとつの理由
じつは読書会に参加しようと思った理由はもう一つありました。
課題図書です。
神田昌典さん監訳の『ビジネスモデルYOU』という本です。
正直、当時こんな本が出ていたことをまったく知りませんでしたが、調べてみると自分自身のビジネスモデルを考えようというテーマの本じゃないですか。
まさに今の自分にピッタリの本だと思いました。
ちなみに私は今でも、この本に出てくる「ビジネスモデルキャンバス」というフレームワークを多用しています。
読書会での出会い
読書会当日のこと。
そこにいたのはすごい人たちばかりでした。
主宰者はダントツの結果を出している(らしい)コンサルタントだし、自分でも読書会を開きたいと言っている経営者、不動産関連の社長。
なんかすごい人たちだな・・・
結構びびりながらも、必死にくらいついていくという感じでした。
とくに不動産関連の社長は、話すことがいちいちすごく深くて、圧倒されました。
2回目の読書会
この読書会にかなりの衝撃をうけた私は、その場で2回目の読書会にも参加することを表明。
この2回目の読書会も面白い内容で、RFAでは「ぐるぐる読書」と呼ばれる手法で行われました。
今でもこのときの衝撃が忘れられず、私は自分の読書会ではほとんどこの「ぐるぐる読書」の手法を用いているくらいです。
ちなみに、このときなぜか手にした本が「榛名学」という本。
(まさか、1年半後本当に群馬に転勤になるとは・・・)
そして、この時のメンバーも面白い人たちばかり。
元気で自信にあふれた小学校の先生、NPO法人の理事長、工場経営者などなど。
このときのメンバーは今でも仲良くさせていただいている、本当にありがたい存在です。
2回目の読書会でもとても刺激を受け、自分でも何か始めようと考えるようになります。
とはいえ、この時期はまだ自分で何かをするというよりは、他の誰かのイベントに参加することがほとんどでした。
作家の美崎栄一郎さんの講演会や、きときとサポーターズというグループの企画したソリューションフォーカスを使ったワークショップ、ファシリテーター型リーダーシップ講座、持ち味カードを使ったセミナー、ホワイトボードミーティング講座などなど
少しずつですが、社外の人脈というか友人が増え始めました。
初めての古文書講座イベントを開催
2013年9月。
セブンイレブンの9月の大イベント「おでん70円セール」を終えた私に、ようやく少しの余裕が生まれました。
この年の夏は新店を担当することがなかったのも幸いしました。
そこで、初めての自分の講座を開催することに決めます。
テーマは
「第1回、初心者でも大丈夫!あんどりゅーの古文書講座」
ただ、どういう風にやったら良いのか、まったく分かりません。
そこで、とにかく他人のマネをすることにしました。
Facebookのイベントの作り方は全部、Read for Action読書会のイベントページのコピー、会場もその時使った場所でした。
会場の予約をするとき、とてつもなく緊張しました。
講座の資料も、同じ会社の社員が作ったパワーポイントのフォームを中身を入れ替えて丸々使用しました。
ただ一番の問題は講座の中身です。
内容は出来上がっていましたが、どう進行すればよいのかまったく見当がつきません。
そこで、これもある方の講座の進め方をまるまるパクることにしました。
言わずと知れたカリスマ古文書講師・油井宏子先生です。
たまたま、金沢の「うつのみや」という書店のイベントが開催されたのです。
素晴らしい内容でした。
会場の盛り上げ方や丁寧な解説。
参考にする点がたくさんありました。
会場ではDVDも購入し、何回も見直しました。
ようやく、自分の講座を開催する準備ができました。
あとはFacebookで作ったイベントページを公開する勇気だけ。
自分が渾身の力を込めて作った講座、15年ごしの思いがこもった講座です。
まったく参加者がいなかったらどうしよう・・・
もし誰も参加してくれなかったら、自分の存在が丸々否定されたように感じるんじゃないか?
そう考えるとむちゃくちゃ怖かったです。
でも、勇気を出してイベントページを公開し、友人を招待してみました。
結果、ありがたいことに4人もの方が参加を表明してくれたのです。
心の底から嬉しかったです。
今でもこのとき参加してくださった皆様は私にとって特別な存在です。
初めての古文書講座当日
初めての古文書講座当日。
準備万端整えてお迎えしました。
内容は今思えば、全然「初心者でも大丈夫」ではなかったように思いますが、とにかく私自身は楽しくてしょうがなかったです。
ずっと笑ってたように思います。
とにかく持っているものすべてを伝えようと一所懸命でした。
内容は、観光や町あるきと歴史学の融合を目指したものでした。
具体的には近江町市場とひがし茶屋街の間の尾張町をテーマにしました。
江戸時代の絵図にある店舗で現在も残っている店舗の解説と、そこに伝わる古文書を読むというものです。
終了後、皆様から嬉しいコメントもいただき、本当に嬉しくてしょうがなかったです。
幸せな一日でした。
まちヨミin金沢の実行委員になることに・・・
こうして人生初イベントを無事終えた私に、また人生を変える(大げさかな?)新たな事件が発生します。
以前、Read for Action読書会を開催してくれた方から、Facebookで読書会に参加したメンバー全員にメッセージがあったのです。
それはまた読書会を金沢でやりたいというものでした。
私は気楽に「ぜひ!」と返したのですが、そうすると彼はとんでもないことを言い出しました。
「それなら、ぜひ「まちヨミ」をやりたい!」
と。
「その年の6月にいわき市で、まちぐるみ読書会(通称『まちヨミ』)が開催されたのだけど、まだそれを他にやった人がいない。ぜひ自分が金沢でやりたい!協力してもらえませんか?」
という内容でした。
*まちヨミについてはこちらを参照
聞けば聞くほど大変な内容で、100人を集めて読書会をやるとか、衆議院議員や市長に来ていただくとか、テレビや新聞など各種メディアに報道してもらうとか・・・
私はこいつはいったい何という無茶を言っているのか。
と思っていたのですが、他のメンバーはやろうやろう!と大盛り上がりです。
気楽に「ぜひ!」とか言ってしまった手前、
「ちょっとまってちょっとまってお兄さん♪100人集めて読書会ってなんですのん」
とかとても言えない状況です。
名刺まで作られてしまうことになり、あとには引けなくなってしまいました。
仕事の進め方のギャップに驚く
まず、このメンバーとのやりとりで驚かされたのは、なんか色々使った事も無いようなアプリを多用させられたことでしょうか。
なんせメンバーは東京、大阪、金沢、富山、南砺と5都市にまたがっていました。
よって、やりとりはみんなチャットワーク。
ミーティングはグーグルハングアウトでテレビ会議。
スケジュール調整も伝助というアプリを使いました。
東京のRead for Action協会の事務局の方(今はこんな書き方をするのも変な気がするくらい仲良くなりましたが・・・)とのやりとりなどもあって、東京の最先端の人の仕事の進め方はちがうなあと、私のようなドブ板仕事になれた人間にはなかなか驚きでありました。
セブンーイレブンというと最先端企業のように思われがちですが、会長の意向もあってダイレクトコミュニケーション(要は会って話すということ)を重視しているので、あまりこういうものは使わないのです。
会議も未だにオーバーヘッドを使っていましたしね。
まちヨミだよ!実行委員全員集合♪
ある日。
メイン主催者とRead for Action協会の人とが、東京から金沢にやってくることになりました。
会場の下見や教育委員会の方とのミーティング。
告知のためのムービーの作成。
成功を祝っての白山比咩神社での祈祷。
実行委員と協力いただく方との親睦会をやることになりました。
そして他の実行委員から、Read for Action協会の人はものすごく神社とかに詳しい人だから金沢らしい場所を案内したい。そこで歴史に強い人が欲しい!ということで、ちょっとした解説役で参加しました。
当時の私はまだまだ金沢の歴史には弱かったですし、とくに神社の歴史などはあまり興味がなかったので、大した解説はしなかったように思いますが、思いのほか面白く思ってもらえたようでした。
おかげで、今でも彼が私の事を誰かに紹介するときは、このときのことがネタになります。
金沢歴史さんぽイベントを朝活@金沢で開催
まちヨミin金沢の実行委員として活動しながら、私個人の活動も並行してやっていました。
朝活@金沢の代表の方とO崎さんという方に段取りしていただいて、朝活@金沢の土曜日のイベントとして、「金沢歴史散歩」を開催させていただくことになったのです。
といっても、私自身はコンテンツを作っていただけで、ほとんどすべての段取りはO崎さんと朝活@金沢の代表の方にやっていただきました。
当日、参加者は10人くらいだったでしょうか。
私がガイドするイベントに10人も!
しかも、案内する場所のひがし茶屋街の住民までいるじゃないですか!
私自身が逆に教えていただくことも多く、生きた心地がしませんでした・・・
今思えばよくもまあ、あんなレベルでできたものです。
でも、曲がりなりにも参加者の皆様に楽しんでいただけた事は、私自身にとって大きな自信となったのです。
それにしても、この頃お世話になった方々には未だにお世話になりっぱなしです。
ありがたいことだなと思います。
そういえば、今現在、私の木曜日の歴活の会場に使わせていただいているCafe素都も、この日にO崎さんに連れて行ってもらったのでした。
まちヨミ集客の苦労!
まちヨミin金沢は、集客がかなり大変でした。
正直言って実行委員のほぼ全員が、思ったよりも人脈がありませんでした。
それぞれ仕事は頑張っていましたので、仕事関連の人脈はたくさんありました。
しかし、このようなイベントに参加してくれそうな人脈はあまりなかったのです。
フェイスブックも広告の記事ばかり載せましたが、効果はあまりありませんでした。
何せ、Read for Action読書会のやっていることの意味が分からない。
まちヨミの意味はもっとわからない状態なのですから当たり前です。
そこでとにかく、色んなイベントに出来る限り参加しまくりました。
そしてチラシを配りまくりました。
セブンイレブンの新店のオープンの時と同じです。
とにかく、たくさんの人に会って説明することにこだわりました。
まちヨミin金沢で未来新聞を描く
まちヨミin金沢は、結局50人程度の方が参加してくれました。
100人には遠いですが、それでもよく集まっていただいたなと思います。
実行委員みんなの成果でした。
神田昌典さんがサプライズゲストで来てくださったり、参加者のみなさまの満足度も高かったのではないかと思います。
このとき、最後に「未来新聞」というのをテーブルで作ったのですが、そのときの新聞の見出しは
「えんじょもんプロジェクト」
えんじょもん(遠所者:よそものの意)が金沢を盛り上げて、出生率アップ!
みたいな内容だったと思います。
この時の内容もそうですし、一緒のテーブルにいた方との出会いもまた、私の人生を大きく変えました。
3ヶ月連続新店オープンを担当する!
まちヨミin金沢開催後、私は仕事に専念することになります。
12月〜2月まで3ヶ月連続で新店をオープンさせることになってしまったからです。
正直なところ、これはあまりに過酷でした。
とくに2月は実質10店舗を担当の上、2店舗はついこのあいだ開いたばかりのお店。既存のお店にもろくに顔を出す事ができず、2月オープンのお店をやりきったタイミングで完全に燃え尽きてしまいました。
まるで明日のジョーのように。
心身ともに無理していた反動が一気にやってきました。
明らかに自律神経がおかしくなっていましたし、体中が痛くてたまらなかったです。
何より精神状態が変になっていました。
ようやく元に戻ったと思えたのが、つい最近の2015年3月頃。
無理せず以前のように人と話せるようになるのに、2年以上もかかってしまいました。
しかし体の痛みは未だに完治していない情況です。
心身ともに悪くし、納得いく仕事ができなくなった私は、退職を考えるようになりました
幸せな結婚のためにやっていた仕事が、その意味を持たなくなり、やりがいという意味でも体を壊して納得いくレベルを完全に維持できなくなってきました。
やりたいことをやってうまくいかなくて餓死するのと、過労死するのとどっちがいいかな?
という問いが私の脳を駆け巡りました。
退職を決意も・・・
退職することに決めましたが、問題はいつ言うかです。
ちょうど地獄の3ヶ月連続オープンが終わったとき、尊敬する上司も転勤することになりました。
チャンスです!
まったくこれまで関わりのない上司になったら、そのタイミングで退職を切り出そうと考えました。
しかし、困った事が起こりました。
新しい上司もかなりお世話になった先輩で、しかも出世して私の上司になったのです。
新しいポジションで奮闘する大恩ある先輩。
なんとか盛り立てねば!
辞めるなんて言える状況ではありません。
まじか・・・
と思いました。
とはいえ、やはり限界・・・
なんとか2ヶ月ほどは、根性で頑張りました。
しかし、もう体力的にも限界です。
気持ちの糸も切れてます。
いつ退職を切り出すか、それだけを考える日々が2週間くらい続きました。
忘れもしないGW。
上司より仕事のレベルが落ち過ぎだと叱責を受けた際、とうとう私は退職したい旨を打ち明けるのです。
上司からの説得
ありがたいことに、上司はその日の夜に早速時間をとって私を説得してくれました。
内容は、気持ちは分かるけれど、会社としても今まさに社員のハードワークに関しては取り組みを始めようとしている。
仕事しながら、歴史の研究も並行してできる時代が来るはずだから、辞めるのはそれを見極めてからでもよいのではないか?
というものでした。
私としても、残業が月に60時間程度でおさまるのであれば、それもありかなと考え、
「では金沢にいる間はこの会社にいます。転勤などがあれば退職します」
と伝え、病院などにも通うことをお話ししました。
第2回まちヨミin北陸を開催
そんなこんなで、だましだましの仕事が続いていた頃。
第2回のまちヨミを開催しようという話が持ち上がりました。
私としては、こんな弱りまくった体ですので正直厳しいなという思いがありましたが、2回目をやる!と前回に宣言し、告知のようなものまでやっていたので、やらない訳にはいきません。
しかし、そんなさなか大問題が発生するのです。
まさかの群馬転勤
2014年10月。
群馬県に転勤が決まります。
ありがたいことに、上司の上司が前年の社内資格試験での私の面接内容を評価してくださっており、私の社内での将来を見据えての異動を決めて下さったのです。
私としては、非常にありがたい話ではあるものの、まちヨミもやりたいし、金沢の歴史の研究もしたいし、そもそも
「金沢から転勤になるならやめる!」
って言っていたわけですから、群馬なんて行ってられないと思い、即座に
「なら辞めます」
と、報告しました。
しかし、ここでも面倒くさいことが起こります。
またまたお世話になった先輩が上司に・・・
群馬での転勤先は、またもや別のお世話になった先輩のチームでした。
しかも、エース級の店舗を任される形。
メンバーに若手が多い事もあって、チームリーダーとしての役割を期待されるポジションでした。
まさに、ここで結果を出して昇進しなさいよと言わんばかりの人事。
正直、これが1年前だったら意気に感じて頑張ったんだろうなと思いましたが、このタイミングでは最悪でした。
仕事の進め方のギャップに驚く
また群馬では仕事の進め方が北陸とはまるで違いました。
同じ会社なのか?
と思ったくらいです。
イメージでいうと、北陸は野武士集団なのに対して、群馬は規律ある軍隊のような感じでした。
北陸が仰木監督率いる近鉄バッファローズなら、群馬は森監督率いる西武ライオンズという感じ。
とにかくホームランをかっとばす、豪速球でねじ伏せる北陸流から、徹底的な管理野球で対応する群馬流への変化はかなりの違和感でした。
また運の悪いことに、群馬県全体の前年の数字が良かったこともあって、この年はかなり地区全体で苦戦しており地区全体がぴりぴりムードになっていました。
そのため、前年のような各自の自由なアイデアで取り組もうという雰囲気が失われ、上司の方々も前年の成功事例をそのまま徹底しようという保守的な雰囲気に陥ってしまっていました。
結果、数字を出す事よりも言われた事をやっているかどうかだけが重視される変な雰囲気になってしまい、完全に歯車が狂ってしまっていました。
まちヨミin北陸の苦悩
並行して問題だったのが「まちヨミin北陸」です。
今回は金沢だけでなく、富山や福井でもやりたいということで、「まちヨミin金沢」ではなく、「まちヨミin北陸」としていました。
しかし、こちらも問題が山積みでした。
私だけでなく、もう一人のメンバーも富山から東北に転勤になったのです。
また、前回メインファシリテーターをしてくれていた言い出しっぺの方が、参加できなくなったのです。
完全に動く人数が不足していました。
リーディングファシリテーターになることに
そんなとき、当時Read for Actionの事務局をやっていた方(愛称:なべっち)から、無責任な一言が出てました。
「みんなさあ、リーファシになっちゃいなよ」
まるでジャニーさんのような適当な言い方で、でも、ものすごく本気で彼は誘ってきました。
当時、彼はちょうどリーディングファシリテーターを教えるための資格をとったばかりでした。ホーム感のあるメンバーを相手に養成講座を開催したかったんだと思います。
そこで、なぜか金沢で彼の最初のリーディングファシリテーター養成講座が開催されました。
歴史的大雪で参加できず
そんなとき、まさかな出来事が起きます。
群馬県で歴史的な大雪が降ったのです。
交通機関は完全にマヒ。車も一切出すことが出来ず。
とても金沢まで行くことなど出来ない状況になりました。
残念ながらキャンセルです。私はその次の東京での講座にスライド参加することになりました。
そして、その後1ヶ月は大雪の後始末と、群馬県での新店オープンにむけた準備に忙殺されることになります。
仕事へのモチベーションが首の皮一枚だった私は、このときの本部や上司の行いにも大きく失望することになります。
退職を伝える
3月になりました。人事異動の季節です。
私を引き上げてくれた上司、そして過去にお世話になった直属の上司。
この2人がどちらも異動することになりました。
私はその報を聞き思いました。
「やっと辞めることができる」
その後にやってきた上司が優れた方だったら、もしかしたら辞めていなかったかもしれません。
しかしありがたい事に、まったく仕事ができない上司がやってきました。
私が仕事を続ける理由は、本当に見事になくなったのです。
私は新しい上司に告げました。
「辞めます」
と。上司からはまた、ちょうど会社が仕事時間の削減に取り組み始めたタイミングだから辞めるのはもったいないと止められました。
仕事時間が減るのだから、増えたプライベートの時間でやりたいことをやればいいじゃないかと。
しかし、私は分かっていました。絶対この「働き方改革」は成功しないだろうなと。
なぜでしょうか?
それはそもそもの前提が間違っていたからです。
この改革は若手社員の離職を防ぐことを目的にしたものでした。
ですので、30代以上の社員の従業員満足度を高めることは一切視界に入っていなかったのです。
若手が辞めていたのは、間違いなく30代以上の上司たちの姿を見て絶望していたからだというのに。
「働き方改革」は予想通り一瞬で崩壊
結論から言うと、やはり業務や数値目標は増えているのに労働時間だけ削減することは不可能でした。失敗です。
これまで休日を買い取ってもらったり、残業をすることで住宅ローンを払ったりしていた人は労働時間削減に反対しており、あきらかに抵抗勢力となっていました。
そして、とうとう目標を達成できない上司は、残業やができる権利を勝ち取ったことを誇らしく部下に伝えるようになりました。若手は絶望するようになりました。
やっぱりなあと思いながら、私は安心して?退職をすることになったのです。
退職後も改革は続いており、私が所属していたときよりは改善されてはいるようですが、当時は過度期でもあり、そのような状況だったのです。
とうとうリーディングファシリテーターに
そんなさなか、私はスライド参加したリーディングファシリテーター養成講座を受講し、リーディングファシリテーターとなりました。
普段、人格否定ワードのシャワーを浴び続けていた人間にとっては、楽しく学ぶということは嬉しくもあり、つらくもありました。
なによりも自己開示することへの恐怖がどうしてもありました。
ですので、どんなことを実現したい?
みたいな質問に対して、「身の安全を確保したい」というレベルの答えしか出せず、
我ながら泣けてきましたが、なんとかふんばりました。
まちヨミin北陸
2度目のまちヨミが迫ってきました。
今回は金沢と富山の2箇所での開催でした。
実行委員だった私たちは、日々電話会議を行っていましたが、私はどうしてもモチベーションが上がりませんでした。
そこで、私はひとつのチャレンジをすることにします。
「ワンパートだけでいいので、ファシリテーターとして参加したい」
勇気を出して申し出た私に、みんな賛成してくれて、とても嬉しく思ったのを覚えています。
当日は急遽流れが変わったこともあり、本来やろうと思っていたこととは別のワークをすることになったのですが、そこでの内容を事務局のなべっちが気に入ってくれ、以後なにかと良くしてくれるようになったのは有難いことでした。
そして退職へ
そして5月。
いよいよ退職。今まで会社を辞めたときは、必ず次の会社を決めてから辞めていましたが、今回は本当に何も決めず退職しました。
いずれ何かしらの形で起業しようとは漠然と思っていましたが、何の展望もなく、まずは一旦休憩しようという感じでした。
まずは古文書講座を開催してみよう。
そして北陸新幹線がいずれ開通したら金沢に多くの観光客がやってくるだろうから、観光客相手にガイドとかできないだろうか。
そんなことを漠然と考えていましたが、ビジネスプランには程遠い内容でした。ただ、自分のスキルを考えれば、何かが出来るはずだ。
そんな自信だけはなぜかありました。
まあ駄目だったとしても、死ねばいいだけだしね。
生きていることに、さほどの意味を感じなくなっていた私は、「死」を恐れなくなっていました。
怖いもののない私は、「やりたいこと(歴史)で起業」を目指し、まずは歴史専門の朝活「金沢歴活」を立ち上げます。
ここからの話はまた、べつに立ち上げて語っていこうと思います。