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今週のNHK知恵泉「スケールの大きな夢に挑むには?小栗上野介」を見る

NHK Eテレにて、2月2日(火)放送の知恵泉のレビューです。

今回のテーマは幕末の最新プラントだった横須賀造船所を建設した幕末の名奉行・小栗上野介でした。

ゲストはビビる大木さん、山本博文教授と、天文学者で国立天文台副台長の渡部潤一さん。

渡部潤一さんは冥王星を惑星から外す決定をした7人のうちの1人なんだそうです。

小栗上野介って?

小栗上野介は本名小栗忠順(おぐりただまさ)。

外国奉行・勘定奉行・江戸町奉行などを歴任し、幕府財政を回復させ横須賀造船所の建設など洋式軍隊の整備を行った人です。
40代以上であれば、むかし糸井重里さんが一所懸命掘っていた徳川埋蔵金を赤城山に埋めた人と言った方がわかるかもしれませんね。

知恵その一 徹底的にかみ砕いてシンプルな基本を見つけろ

ときは幕末、小栗上野介は34歳。

江戸幕府の遣米使節団としてアメリカに派遣されました。

yukiti

同じ遣米使節団だった福沢諭吉は辞書などの書籍を土産に買って帰ったのですが、小栗上野介はアメリカの土産としてネジを買って帰ったというエピソードがあるのだそうです。


なんでまたネジ??

と、普通なら考えてしまいますが、そこにはちゃんと意味がありました。

小栗上野介がワシントンの海軍造船所を見学したとき、彼がそこで目をつけたものがネジでした。

巨大な蒸気船も、かみ砕いていけばネジなどの基礎的技術の結集だと考えたのです。

それがネジを持ち帰った理由でした。

天文学者の渡部潤一さんはそのエピソードから、自分にとってのネジは、偏見なしにデータをみることだ。
またビビる大木さんにとっても、はじめはお笑いも模倣から始めた。

と語っていました。

大きな仕事もすべては小さなネジがしっかりしているか。

自分の仕事にとって、ネジに相当するものって何なのだろう?

改めて考えさせられます。

知恵その二 自分を曲げるな!チャンスを待て

桜田門外の変の後、34歳で小栗上野介は外国奉行になります。

出世を遂げるわけですが、

翌年にロシアが対馬に襲来したとき、小栗上野介はロシアを帰らせることができず、イギリスに頼ることでようやく帰らせることができるなど失敗。

そしてその後、勘定奉行となるも、インフレ対策、攘夷派への対応、幕府内の勢力争いなど上司と常に対立し勘定奉行を辞任。

1年近く無役となってしまいます。

しかし、そこからが小栗上野介の偉いところで、この間にアメリカから持ち帰った株式会社のアイデアを実現したり、横須賀造船所の構想を練っていました。

そして2年後、薩英戦争のときに戦費調達のために勘定奉行復帰。

無役の間に練っていた構想があったため、少しの時間で横須賀造船所の建設をスタート。
造船だけでなく、整備や修理、機械類を国産化する工場群、日本人技術者養成学校も計画された非常に壮大なものとなりました。

その後江戸幕府は滅び、小栗上野介は領地だった群馬県に帰りますが、新政府軍から見逃されることなく42歳で斬首となってしまいます。

 

しかし、彼の構想は明治維新後も生き続けました。

明治4年。横須賀造船所は稼働。小栗上野介の構想通り工場や学校も建設されたのです。

そして今もアメリカ海軍横須賀基地のドライドックとして、小栗上野介のときに作られた施設が使われているのです。

今回の学び

新しい時代にいかに生き残るかという点でいえば、失敗した小栗上野介。

しかし新しい時代にも自分の思いを残し、今現在も使い続けられるものを彼は残したのです。

そのために大切なのはやはり「準備」ということに尽きるのではないでしょうか?

つねに自分は何を実現したいのか?

考えて準備しておくことで、いざチャンスが来たとき、間違いなくチャンスをつかむことができるのではないかと思います。

*知恵泉ホームページ

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