【歴史トーク】富士山信仰の歴史と女性

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
先日生まれてはじめて富士山(といっても河口湖畔ですが)に行ってきました。
そこで、今回のテーマは富士山信仰の歴史です。
富士山信仰とは浅間信仰のこと
富士山の神様は、浅間大神(あさまのおおかみ)といいます。
全国にある浅間神社(全国1300社)の総本宮は富士山8合目以上の大半を境内とし、富士の溶岩がご神体(山宮)となっているのだそうです。
浅間大神は木花咲耶姫(一夜で妊娠、不義の疑いをはらすため産室に火を放ち、火中で出産。)であり、噴火を鎮める水の神でありました。
また浅間(あさま)というのは浅間山を指すのではなく、火山にまつわる一般名詞なのだとか。
富士山出現と初登頂
富士山が出現した年というのが、一応記録にあるのだそうです。
その記録によると富士山は、孝安天皇92庚申(紀元前301)年に出現したのだそうです。
「縁起云、孝安天皇九十二年六月、富士山湧出。(略)」
寛永20(1643)年林羅山著『本朝神社考』(『浅間神社史料』)
では、初めて富士山に登頂したのは誰なのでしょうか?
伝説レベルでは、色々と説があるようです。
・秦始皇帝の命令で不老不死の薬を求めて徐福が訪れる。
・推古天皇6(598)年、聖徳太子が甲斐国から献じられた黒駒にのって富士山越えをした。
・天智天皇2(663)年、役小角(飛鳥〜奈良時代の呪術者。修験道開祖)が伊豆に流された時、夜になると富士山に行って修行
・貞観17(875)年、都良香が登頂。
ただ、基本的に平安時代あたりは噴火がひどく12回も噴火がありました。
とくに貞観6(864)年の大規模噴火は富士の樹海や、本栖湖・精進湖・西湖ができたほど。
なので、この時期は基本的に富士山は登る山ではなく、拝む山でした。
しかし、永保3(1083)年を最後に噴火活動は一旦収束。
ようやく富士山が「遥拝」の山から「登拝」の山へと変化するのです。
修験者による登拝。
正史に残る最初の富士の登頂者は、久安5(1149)年の末代上人(まつだいしょうにん)とされています。
彼は富士山頂に大日堂を建てました。浅間大神だった富士山を大日如来と考えたのです。
村山修験の確立です。
14世紀には修験者による組織的な登山が開始しました。
*ちなみに村山修験は戦国時代には今川氏につき、間諜として関わったそうです。
もしかしたら、大河ドラマ女城主直虎で出てくるかもしれませんね。
室町時代以降は修験者だけでなく、先達に引率された信者も導者と呼ばれて盛んに登拝するようになります。
また富士登山をする際は一定期間飲食や行為を慎み、不浄をさけて心身を清浄に保つ必要がありました。
富士講の発展
江戸時代になると富士講というものが流行するようになります。
このルーツは戦国時代の末。
長谷川角行という人が富士山麓の人穴で修行し、4寸5分角の角材の上に爪立ちして1000日間の苦行を実践。
その結果、「角行」という行名を与えられたことが始まりです。
そして、中興の祖ともいうべき人が身禄(みろく)行者です。
享保18(1733)年6月。身禄行者が63歳のとき、富士山の七合五勺(現在の8合目)烏帽子岩で断食行を行い、入定(即身仏となること)をしたのがきっかけで発展したと言われています。
富士講は江戸のまちを中心に組織された講集団で富士塚の発生も同時期です。
この富士講は幕府により禁令が出されるも発展を続けます。
呪術的な要素をなくし、家業を真面目に勤める事が救いとなると説いたと言われます。
また男女平等を説き女の穢れ概念を否定しましたが、これは身禄行者の娘「はな」が後継者となったことに由来するのだとか。
そのせいか庚申の年は女性も4合5勺まで登拝できたのだそうです(富士山が出現したとされる孝安天皇50年が庚申の年だったことに由来)。
女性の富士登山と外国人
女性の富士山への初登頂は、天保9(1838)年たつ女と言われています。
*より早い年に登頂した女性がいたのではないか?という説もあります。
たつさんは元尾張藩御殿女中で、江戸深川八名川町の鎌倉屋十兵衛の娘さんでした。
身禄行者の百年忌の年に、男装をして登ったと言われています。
では、外国人の初登頂は誰だったのでしょうか?
外国人の第一登は、万延元(1860)年の英国隊。
英国駐日総領事オールコックが隊長でした。
この時の様子は『大君の都』に詳細に記載されています。
その後は、
・第二登:慶応2(1866)年、ブレンワルト隊長(スイス隊)
・第三登:慶応2(1866)年、ポートマン隊長(米国隊)
・第四登:慶応2(1866)年、英国隊
・第五登:慶応3(1867)年、ポルスブルック隊長(オランダ隊)
・第六登:慶応3(1867)年、パークス隊長(英国隊)
こんな感じなのですが、この第6登のパークス隊ではパークス夫人が登頂しており、外国人初の女性登頂者となりました。
基本的には女性は登頂してはいけないことになっていたので、西洋においては日本人も含めて女性の初登頂と当時は信じられていました(実際は既にたつさんが登っていたわけですが)。
そして、パークス夫人の登頂以降、女性の登山は一気に隆盛。
とうとう明治5(1872)年、女性の登山が解禁されるのです。
主な参考文献
田部井 淳子『富士山の単語帳』(2013年、世界文化社)
宮家準『修験道』(教育社歴史新書)
宮家準「富士山信仰の歴史、今ふり返る ― 自身を内省するよすがに」(中外日報2013年9月3日付)*こちらから読むことができます。
竹谷靭負『富士山と女人禁制』(2011年、岩田書院)
オールコック著・山口光朔訳『大君の都—幕末日本滞在記— 中』(1962年、岩波文庫)
ほかwikipediaなど