1. HOME
  2. ブログ
  3. 二宮尊徳の思想に学ぶ!地域の人口減少への対処法とは?

二宮尊徳の思想に学ぶ!地域の人口減少への対処法とは?

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

昨今、日本は人口減少社会に突入していると言われています。

とくに地方は問題で、日本の自治体の半分は将来的に消滅してしまう可能性があるようです。
ただでさえ日本全体が人口減少状態なのに、地方は東京などの都市部に人が出て行ってしまうからですね。
そのため、各自治体はなんとかして東京から戻ってきてもらおうと、地方創生の名の下に様々な施作を行なっています。
そして私も3年間、石川県のUIターン事業に関わってきました。

しかし、そもそもなぜ地方の人は東京などの都市部に行ってしまうのでしょうか?

一番大きいのは

仕事がない。

というものでしょう。

ほかにもないものはたくさんありますが、一番大きいのは収入を得る手段が少ないということだと考えられます。
実際、地方にも仕事はあるものの、東京で働くのと地方で働くのとでは同じ仕事でも3割は賃金が下がるイメージです。それに対して物価は3割も下がりません。
そりゃよっぽどのことが無いと戻ってこないですよね。

ではどうしたら良いのでしょうか?

こんなときに有効なのが過去に学ぶことです。
現在の状況と似た状況にあった時代に学ぶのです。

それは江戸時代の後半の東日本です。

江戸時代後半の東日本は人口減少社会

江戸時代の後半は人口が全国的に停滞していましたが、東日本では減少傾向にありました。それは当時の気温が関係しています。
江戸時代の後半は、世界的に気温が寒冷化していたと言われています。
そのため、東北を中心に不作の年が増加。飢饉が数多く発生しました。
その結果、東日本では多くの人が飢餓で死亡すると同時に、農村から江戸などの都市へと出稼ぎに行くようになったのです。

結果、耕す人のいなくなった田畑は荒れてしまい、十分な収穫量が得られなくなりました。
収入の減った農民たちは、子供を産まなくなります。
また、せっかく産まれた子供を殺してしまう間引き慣行が行われるようになったのです。

そこで領主たちは、間引き慣行の禁止令を出したり、子供を養育するための奨励金を出したり、子供を育てることは素晴らしいことだと農民に教諭することで、農村の崩壊を食い止めようとしました。

しかし、それでも東日本の人口は減少していったのです。

では、なぜそんなことになっていったのでしょうか?

二宮尊徳の意見を聞いてみたいと思います。

二宮尊徳の意見

15110858_1165556796862023_8398370705366230533_o

岩波文庫の『二宮翁夜話』122・3ページの文章を意訳しますと、

二宮翁が言うには、

田畑が荒れるのは農民が怠けているからだとし、人口が減少しているのは最近は農民が子供を育てたがらない風潮があるからだと言うのは誰でも言えることである。

どれだけ頭が悪い人間でも自分から田畑を荒れさせて自分から貧困におちいる奴はいない。
また、人は動物ではない。親子の情がない人間などいるだろうか?

つまり親が子供を育てられないのは農民の親子の情が薄れたことが原因ではない。
食べることができないから育てられないのである。

そして、その理由は3つある。

1、農民が税金の高さに耐えらず、支払いのために田畑を捨ててしまうこと。
2、公共工事の予算も足りず、堤防や道路・橋などが壊れていること。
3、田畑を耕せないので、ばくちが流行し、生活も乱れ、精神的にも不安定になっていること。

結果、農民によって米が作られないため食べ物が足りず、それゆえに人口が減るのである。

食べ物があれば人口は増え、なければ減る。

もっとも重視すべきなのは人々の米びつである。

例えば、ここにハエを集めようとする。
どれだけハエを集めてきても、放してしまえばまたどこかへ行ってしまう。
でも、食べ物を置いておいたらどうだろう?
わざわざハエの人格(ハエ格?)を磨かなくてもすぐに集まるのである。
たとえ、追っ払おうとしてもハエが逃げることはないだろう。

重視すべきなのは人々の米びつである。

また、自分の米びつも大切であるということを決して忘れてはならない。

二宮尊徳は言います。

人口減少の問題について、為政者は最近の農民が昔の農民に比べて怠けて働かなくなったこと。
また子供を育てようという愛情を無くしたからだと考えている。
しかしそれは間違った理解である。

と。

世の中の仕組みは正しいのだが、それを実行する農民の性質が悪くなった。そのため仕組みが維持できなくなってきた。だから農民の質を高めよう!という理解が当時の為政者の考え方でした。

実際、江戸時代後半のこの時期は、心学など農民の人格を磨かせることで世の中の仕組みを維持しようという流れが社会のメインストリームだったのです。

しかし、二宮尊徳はその考え方に真っ向から反対しています。

人間の心は今も昔も変わらない。問題なのは環境なのである。
農民は収入が足りず、そしてそれを改善するためのインフラも足りない。
そんな状況に農民は絶望してやる気を失っているだけなんだと。
だから、そんな状況を改善し、農民の収入を上げてやればよいのである。

これが二宮尊徳の考え方です。

そして、そのための手法が二宮尊徳が行った報徳仕法です。

既得権を持つ人々は、常に現在の社会の仕組みは素晴らしいことを前提に話を進めます。
しかし、その考え方に真っ向から立ち向かっていった改革者。
それが二宮尊徳だったのです。

明治以降、なぜか二宮尊徳は「勤勉は美徳」という農民の質を高めよう!という政策のイメージキャラクターになってしまい、本来の尊徳の考えが伝わっていないように思います。

実際の二宮尊徳は、

武士も農民も誰もがWinWinとなる仕組みを再デザインすることで、地域経済を発展させ、農民が安心して子供を産み育てることができる環境を作ろうとしました。
そして、北陸などの人口が増えていても、地域経済が弱く食べることができていない人々に向けて移住を勧め、移住後は元々の地元民と移住者が揉めないように権利関係を調整するなどの取り組みを地道に行いました。

その結果、二宮尊徳の取り組みは広がっていったのです。

文責:安藤竜(アンドリュー)

業務改善研修・講演のお問い合わせは下記フォームからどうぞ
***問い合わせフォーム***

主な参考文献

福住正兄筆記『二宮翁夜話』(岩波文庫、1933年)

宇津木三郎『二宮尊徳とその弟子たち』(小田原ライブラリー3、夢工房)

大藤修『二宮尊徳』(吉川弘文館、2015年)

関連記事