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江戸の対外関係〜安倍首相の真珠湾演説は現代における天保の薪水給与令か?〜

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

安倍首相が12月27日。真珠湾にて行った慰霊の演説。


感動的だったという意見を多く見かけたのですが、私にはどうにも不思議な内容のように思えました。
それはつまり、
あまりにもリベラルっぽくないだろうか?
保守の用語を使うならば、あまりにも「自虐的」ではないだろうか?
という疑問です。
「アメリカより中国が先だ。」という批判を目にしましたが、その批判の仕方がまさにそれを物語っているように思ったのです。

The Huffington Post 「安倍首相が真珠湾訪問 オバマ大統領と慰霊「日本国民を代表して花を投じた」

時事通信「「歴史的」「アジアが先」=真珠湾訪問、評価二分-各地の戦争資料館長」

では、なぜ安倍首相はそのようなリベラル寄りとも取れる内容の演説を、あえて今行ったのでしょうか?

ここ数日ずっと疑問だったのですが、ふと私の頭の中にこれは江戸時代における「天保の薪水給与令」と同じなのではないか?という考えが浮かび上がり非常に納得したのです。

そこで、今回は江戸時代の対外関係の流れのお話です。

「鎖国」の動揺と対応

江戸時代は3代将軍徳川家光の時に、いわゆる「鎖国」を行いました。

*「鎖国」の始まりについてはこちらの記事をどうぞ
 【歴史トーク】鎖国は日本だけのもの?

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しかし江戸時代の後半、田沼意次が老中になった頃になると、少しずつその体制が脅かされるようになります。
背景としてはイギリスの産業革命やロシアのシベリア開発による北太平洋への進出があります。
実際、田沼意次は蝦夷地を開発してロシアとの交易を行おうと画策したと言われています。

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田沼意次失脚後、松平定信による寛政の改革が行われますが、この時代になるとロシアの脅威は
かなり現実的となります。

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ロシアの択捉(えとろふ)への植民(ラッコ狩のため)やクナシリ・メナシの戦いを経て、寛政4(1792)年にはロシア使節ラクスマンが根室に来航します。
大黒屋光太夫を送還し、通商を要求してきたのです。
この時期、鎖国は祖法であるという考え方が生まれました。
ラクスマンの通商要求を幕府は拒否しましたが、このとき「艦隊」が来航する可能性を想定し、
異国船取扱令と海岸防備令が出されました。

その後、文化3(1806)年に薪水給与令が出され、海外からの漂流船には穏便な対応をとるようにとの法律が出されました。

このように当初、通商は拒否するものの漂流船など困っている海外船があれば助けようという比較的友好的な対応が行われていました。

 

穏便な対応から強硬姿勢へ

しかし、幕府の通商拒否に不満だったロシアの商人が樺太や択捉の日本の番所を襲撃するという事件が発生。

翌文化4(1807)年には、ロシア船は打ち払うことという法律が出されます。

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その後、フェートン号事件を受けて、文政8(1825)年には異国船はすべて打払いなさいという法律である文政の異国船打払令が出されることになります。

フェートン号事件というのは、フランス革命にまで話が遡ります。

フランス革命後、ヨーロッパでは革命の自国への拡大を恐れた反革命同盟国とフランスとのフランス革命戦争が起こります。
その際、オランダはフランスに占領されます。

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その後、ナポレオンは弟のルイ・ボナパルトをオランダ国王に任命。
旧オランダ国王はイギリスに亡命することになります。


長崎でのオランダ船との貿易はこのとき、フランス支配下の貿易商だったためイギリス海軍はフランス支配下のオランダ船を拿捕しようと長崎へ強引に入港、オランダ商館員2名を拉致するという事件が発生します。


これがフェートン号事件です。

むざむざと異国船の長崎侵入を許すことになった幕府のプライドはずたずたとなり、幕府は方針を180度転換。すべての異国船は打ち払えということになりました。


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この頃はちょうど化政文化が花開いた時期で、江戸時代でも好景気だったため人々の意識も強気だったのではないかと私は考えています。

しかし、天保4(1833)年に天保の大飢饉が発生し、景気は一気に悪化。


天保8(1837)年のモリソン号事件をきっかけに、天保13(1842)年天保の薪水給与令がだされます。

異国船については、

「御仁政をほどこしたいとのありがたい思し召し」

から穏便に対応するようにと法律が改正されるのです。

しかし、もちろん本当の理由は「御仁政」などではありません。

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そもそもの理由は5年前のモリソン号事件が発端です。

天保8(1837)年、アメリカ合衆国の非武装の商船モリソン号が日本人漂流民をわざわざ運んで浦賀沖に来てくれました。


しかし日本はその時、異国船打払令の時代です。

まさか日本人漂流民をわざわざ運んで来てくれてたなんて、そんなことはつゆ知らない薩摩藩と幕府は迷うことなくモリソン号を打ち払ってしまいました。

しかし1年後、モリソン号が漂流民を運んで来てくれた船だったことを幕府は知り、異国船打払令に対する批判が勃発します。

ちなみにモリソン号はアメリカ船でしたが、当時はイギリス船だと勘違いされており、この勘違いが後にさらに問題を大きくします。

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それはアヘン戦争です。

イギリスは天保13(1842)年にアヘン戦争に勝利し、中国(当時は清国)を植民地化しました。

あの強大な清国を植民地化してしまったイギリスの船の好意を踏みにじる行為をしてしまったことに気づいた江戸幕府は、イギリスとの戦争による日本の植民地化だけは何としても避けなくてはならないと考えました。

そこで、まず出されたのが天保の薪水給与令なのです。

韓流ブームからの尖閣諸島や竹島問題による嫌中嫌韓の流れ、そしてイギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領誕生の流れからの「寛容の心」を強調した真珠湾演説と綺麗にトレースされるように私には思われます。

今後、日本では何かしらの黒船に相当する事件が起こり、世の中は一気に変化していくのではないかと考えられるのです。

*黒船来航時、いかに江戸幕府の交渉陣が戦争を回避したのかについては以下の記事を参照してください。
 【歴史トーク】ペリーvs江戸幕府!幕末の白熱外交事情

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