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織田信長は最強の二代目だった!織田信長の父、信秀の革新性とは?【書評】谷口克広『天下人の父・織田信秀』(祥伝社新書)

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。 

戦国の覇者・織田信長。

尾張の小大名の出身でありながら、伝統的な権威を否定し、軍事的には鉄砲の大量導入など先進的な軍隊を作り上げた男。

また領地の拡大に応じて居城の移転や家臣の城下町への集住を行い、楽市・楽座を推し進めて商工業者が集う豊かな領地を作り上げたと言われます。

これらの内容については信長の革新性としてよく取り上げられます。

しかし、実は信長の父、信秀がそのルーツであり、信長はあくまでも父・信秀の姿勢を真似し、発展させた二代目に過ぎなかった。

本当の初代の革新者は父・信秀である。

本書の主張はこの4行に尽きますが、非常に興味深い本となっています。

 

父・信秀がルーツと思われる政策

信長の政策で、父・信秀がルーツといえるものには、

1、居城の移転
2、一切籠城をしない戦闘方法
3、農政をほとんど行わず、商工業の発展を重視する

本書からは確実なものとしては、この3点があげられると思います。

信長が、つぎつぎに本拠地を移したことは有名ですが、父・信秀も勝幡城を皮切りに4つの城を本拠にしました。

そして、意外なことに信秀も信長も籠城戦の経験がなく、あえて言うなら信長の最後の場所となった本能寺での戦いが唯一の籠城戦とも言えるものであること。

そして楽市楽座はともかく、常に商工業を重視した点においては共通でした。

 

父・信秀はなぜ革新者たりえたのか?

そして、この特徴は領地だった尾張国の特徴に合わせたものでした。

山がなく平野が続く尾張国では城は戦闘の場には不向きだったため、籠城は効果的ではありませんでした。

結果、城は軍事施設というより経済施設としての正確が強くなった。

そうすると、自然と経済的に都合のよい場所へ移動するようになったというのです。

この尾張国の特徴から生まれた革新的な信秀の政策を、二代目である信長は継承し発展させることで戦国の覇者となったのです。

これまで信長については語られることは多かったですが、父・信秀については語られることはほとんどありませんでした。

しかし本書は少ない史料から、若干推測が多い気はするものの非常に興味深い結論を見出した良書だと思います。

とくに信秀と信長の比較が行われている5章はおススメです。

 

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