日本中世の一揆に学ぶサーバントリーダーシップと会議

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
昨今、新しいリーダーシップの形としてサーバントリーダーシップが必要だとよく言われます。
実際、私自身も企業様の管理職研修で、ファシリテーションの技術とともに、講義をさせていただくことがあります。
リーダーシップというと、ピラミッド型の上から強く指示・命令して動かす形がこれまで主流でした。
しかし価値観が多様化した現代においてはこれまでのような上からのリーダーシップは通用しなくなってきました。
そこで生まれたのがサーヴァントリーダーシップです。
上からではなく下から押し上げる。
部下たちが知らず知らずのうちに「目標に向かってやらなくちゃ!」と思ってしまうようにもっていくリーダーシップの形です。
またサーバントリーダーシップを導入すると、メンバー全員が自立型人間となり、それぞれにリーダーシップをとるようになるため、非常に良いことずくめとなります。
特に会議などでは新しいアイデアがどんどん産まれていくようになりますし、結果として従業員満足度も高まり社員の定着にも繋がります。
このような新しい形のリーダーシップは一見新鮮に思いますが、別に新しいものでもなんでもなく実は日本の中世において当たり前に存在するものでした。それは日本中世の一揆です。
中世の一揆について知るには、『応仁の乱』という新書がベストセラーになっている呉座勇一さんの『一揆の原理』がオススメです。
ここから、中世の一揆とリーダーシップのあり方について見ていきましょう。
中世の一揆の特徴
一揆というとほとんどのみなさんが思い浮かべるのが、江戸時代の農民一揆だと思います。竹槍や鍬を持って「年貢を減らせ!」って叫んでいるデモみたいなものというイメージ。
しかし日本の中世において、一揆とはこれとはまったく違うものだったのです。なんと中世における「一揆」とはコミュニティやプロジェクトチームのような意味の言葉でした。
同じ目標に対して一緒にやろうぜ!
ってことになって編成されたプロジェクトチーム。
これを「一揆」と呼んだのです。
中世の一揆における「会議」の方法
中世はあまり裕福な時代ではなかったので、突出した権力を持つ者がいませんでした。そこで身分の階層が同じであれば、比較的フラットな人間関係となっていました。
さらに、身分自体もそんなにガチガチではなく、自由に行き来できるものだったのです。
そのため、中世の一揆の構成員はたとえ階層が異なっても平等に扱うというルールがあり、力のある者が鶴の一声で会議を牛耳るのでなく、誰もが平等に発言して会議を進めるための工夫がなされました。
平等原則を貫くための工夫としては、
1、会議では覆面をして顔を隠す
2、声色を変えて発言者が誰かわからないようにする
3、会議の参加者は必ず1回は発言する
などのルールが定められていました。
また会議で決まった内容に関して、傘連判状のように円形にサインをすることで、上下関係目に見えないようにする誓約書なども作られたのです。
そして契約書は神前で燃やされ、その灰を酒に溶き、酒を回し飲みするという「一味神水」が行われ、確実に実行されていったのです。
会議が上手くいかない理由は大きく2つあります。
1、そもそも全員に発言が許されていない
2、せっかく決定した内容もトップの鶴の一声で潰されてしまう
しかし、中世の一揆は誰でも平等に話せる工夫と、決定事項が簡単に翻らないための工夫を行うことで回避していたのです。
現在の会議やブレインストーミングの手法であるファシリテーションも、参加者がなんでも言える場をつくることにかなりこだわりますし、全員が参加できるようにファシリテーターは誘導していきます。
全く新しい概念だと思われているサーバントリーダーシップですが、実は日本でも中世に既に行われていたのです。
ぜひ皆さんの会社でも取り入れてみてください。
文責:安藤竜(アンドリュー)
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主な参考文献
呉座勇一『一揆の原理』(2015年、ちくま学芸文庫)
勝俣 鎮夫『一揆』(1982年、岩波新書)
久留島典子『一揆の世界と法(日本史リブレット)』(2011年、山川出版社)
久留島典子『一揆と戦国大名 日本の歴史13』(2009年、講談社学術文庫)
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