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歴史はどう分けられたのか?時代区分と日本

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

私の本来の専門は日本の江戸時代です。

そして江戸時代は別に近世ともいいます。

この江戸時代とか、近世という呼び方を専門用語では時代区分といいます。

人類が生まれてからの歴史はひっじょーに長いので、ある程度特徴ごとに時代を切り分けたら理解しやすいよねというのが時代区分です。

最近のビジネス用語でいうならば、フレームワークというものにあたります。

何かしらの枠にはめ込むことで理解しやすくするわけです。

歴史学というのは、何がきっかけで世の中がどう変化したのか、そしてその変化に人々はどう対応したのかを追究する学問なので、時代区分も基本的には世の中が大きく変化したタイミングで切り分けられています。

時代区分の2つのフレーム

時代区分の方法(フレーム)は色々ありますが、日本の場合は大きく2種類あります。

平安時代とか江戸時代とかいう「○○時代」という分け方と、古代、中世、近世といった分け方です。

それでは、この2つのフレームについてもう少し踏み込んでみたいと思います。

「○○時代」という分け方は、基本的に政治の中心が置かれた場所が変わったタイミングで分けます。

平安時代は京都の平安京が政治の中心地だったからだし、江戸時代も江戸城(現在の皇居)に将軍が住んだからそう呼ぶわけです。

歴史は政治だけじゃない!

と言う声も聞こえてきそうですが、基本的には経済や社会、文化の動きに対応して政治も行われるはずなので、とりあえず政治の中心があった場所で時代の呼び方とすることになっています。

しかし、そういった中心地がない古い時期は、縄文時代みたいに出土する土器の特徴が時代の名前になっていたり、明治時代以降は年号があまり変化しないこともあって、年号によって時代を分けています。

ただ明治時代以降の場合は、世の中の変化に合わせてというよりは単に天皇陛下の在位時期で分けているため、少し時代の変化が分かりにくくなっているとは思います。

いずれ、明治時代から昭和初期までの時期が何かしらの名前でくくられることになるでしょうね。首都の位置は変わらないですが明らかに戦前と戦後では社会体制が違うので。

また、古代とか中世、近世というのは、もともとヨーロッパの時代区分を日本に当てはめたものです。

ただ、もちろんヨーロッパと日本ではだいぶん事情が異なります。

ヨーロッパでは先史時代、古代、中世、近代、現代という風に分けますが、日本の場合は中世と近代の間に近世が追加されます。

これは日本だけではなく、東アジアの国々はだいたい同じように分けているそうです。

また、他のアジアや南米、アフリカなどの新興独立国では、伝統社会、植民地時代、独立運動と独立後という3つの時代に分けることが多いようです。

このように同じ地球上の国でも、それぞれの国・地域によって時代の切り取り方は異なるのです。

ほか、キリスト前か後かでわける紀元前・紀元後、マルクス主義的分け方、100年ごとにわける⚪︎世紀、人間の寿命にあわせる70年周期、などなど多くのフレームが存在します。

古代から近代・現代まで

では古代から近代・現代まではいったいどういう基準で分けられているのでしょうか。

先史時代と古代の違いは、大きくは文字があったかどうかの違いです。

ですので、倭の女王卑弥呼の時代、つまり古墳時代頃までが先史時代ということになります。

そして古代は文字が伝わっただけでなく、中国の律令と呼ばれる法律を輸入し、律令をもとにした中央集権の国家が生まれた時期でもあります。
ということは、文字が中国から日本に伝わり『古事記』や『日本書紀』が生まれた飛鳥時代あたりから、奈良時代を経て平安時代の末期までが古代に入ります。

つぎは古代から中世への変化です。古代が中世へと移り変わるポイントは、院政期から平清盛の政権が成立した時期にあたります。
この時期の変化は、天皇を頂点として摂政・関白・大臣たちが補佐する古代以来の中央集権の政治の仕組みが崩壊し、新しい政治の仕組みが生まれたことがあげられます。
平安時代は藤原道長など摂政や関白といった役職を独占した藤原氏が、天皇家と婚姻を結ぶことによって自分の血筋を天皇家に送り込み、政治の実権を握っていました。
院政とはそれに不満を持った天皇がわざと退位して上皇となり、摂政・関白の影響を排除しようとしたことが始まりです。
そして政治の実権を力づくで握るために、地方の武士を味方につけました。
そうして力をつけた武士が、貴族に代わって政権を握るようになったのが平清盛の政権です。
そして古代から中世にかけて最も大きな変化とは、最終的に京都の貴族が主役の時代から鎌倉を始めとする地方の武士が主役の時代に変わったことでした。
武士が主役イコール平和から戦乱の時代、文化よりは力の時代だったと言えます。
そして同時にこの時期は宗教の時代でもありました。
災害も多かったですし、理不尽な武力によってすぐに死がやってくる時代でしたから、宗教による救いが求められたのです。

近世の始まりは安土・桃山時代です。
大きな特徴は信長・秀吉の天下統一によって分裂していた日本が再び一つになりました。
戦乱の時代が終わりを告げ、刀狩りによって武装解除が進み、中世に比べ理不尽に殺される恐怖がなくなり、宗教は力を失います。
また検知により少農民が独立できるようになったことから、農業経営が大規模経営から小規模経営中心になり、それゆえに耕作面積の拡大による増産ではなく単位あたり面積の収穫量の増加による増産を目指すビジネスモデルが確立しました。
この流れを小農自立といいます。
この成功が江戸時代前期の発展につながり、長きにわたる平和な世の中が続きました。

近代は明治時代以降になります。
近代の特徴は古代のような完全な中央集権国家への回帰です。
江戸時代は江戸幕府による中央集権じゃないかと思われるかもしれませんが、地方の大名たちによる自治がかなり力を持っていました。
明治以降の地方自治体とは比べ物にならないレベルだったのです。
また限界はありつつも身分制度がある程度解消されるのもこの時期です。
国家による戦争の前では国民は平等だったのです。
また政治についても身分はなくてもお金があれば参加できるようになりました。

そしてアジア太平洋戦争後が現代となっています。

このように社会体制の大きな変化がこの分け方の特徴です。
別にいうと何かしらの大きなイノベーションが起きたタイミングとも言えます。
古代の文字輸入、中世の武士の台頭、近世の刀狩りと検地、近代の国民の誕生、現代の民主主義の導入などです。

ということは今後、AIの発展が間違いなく新しい変化を起こします。

そうなったとき、今度はどんな時代区分が生まれるのでしょうか。

楽しみです。

主な参考文献

朝尾直弘「時代区分論」(『岩波講座日本通史』別巻1、岩波書店、1995年)

佐々木潤之介『江戸時代論』(吉川弘文館、2005年)

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