茶の湯の歴史!千利休・古田織部・小堀遠州をサッカーとアイドルで例えてみる

日本の茶の湯は間違いなく千利休前と千利休後に分けられる。
今回の記事は茶の湯の歴史を千利休前と千利休後にわけ、それぞれの立役者がサッカーやアイドルならば、いったい誰にあたるのかを比較的真面目に考察したものである。
かなり独断と偏見で書いているが、気楽に読み進んでいただきたいと思う。
千利休前の茶の湯
千利休前の茶の湯というと、まずは室町幕府8代将軍足利義政の時代から始まる。
この時期、茶の湯は唐物、つまり中国からの輸入品でするものだった。
牧谿などの水墨画や窯変天目茶碗など、中国のハイブランドの道具を見せ合うのがメインの、道具があって初めてできる一部のセレブだけの楽しみだった。
しかし、そこに風穴を開けたのが村田珠光。
能や禅の要素を入れ、「侘び茶」というスタイルを打ち出したのだ。
そして武野紹鴎により竹製の茶道具が用いられるようになるなど、茶の湯はどんどんセレブだけの楽しみから一般庶民でも楽しめるものとなっていく。
この「侘び茶」の発明は茶の湯の裾野を大きく広げた。
サッカーに例えるならば、Jリーグ開幕くらいのインパクトのある出来事だったのだ。
足利義政が代表最多得点でメキシコ五輪銅メダルの立役者である釜本邦茂だとするならば、
村田珠光はブンデスリーガに日本人で初めて移籍し、10年にわたって活躍した奥寺康彦が相応しい。
武野紹鴎はJリーグ草創期のヒーローだったキングカズのような存在だったと言ってもよいかもしれない。
川淵三郎かもしれないが・・・
さて、アイドルの世界で「侘び茶」「Jリーグ開幕」に相当するものはなんだろうか?
これはやはり、秋元康によるグループアイドルの登場に例えられるだろう。
夕焼けニャンニャンというアイドルのためのテレビ番組が作られたのも画期的だった。
そうすると足利義政はやはり伝説のアイドル山口百恵。
村田珠光は松田聖子あたりか。
そして武野紹鴎はもちろん、おニャン子クラブということになるだろう。
ここまでが千利休前の茶の湯の流れだ。
千利休の茶の湯
そして、いよいよ千利休の時代になる。
千利休は「侘び茶」の精神性を高め、確固たる思想、美意識をもって茶の湯を実践した。
またその美意識は、研ぎ澄まされた緊張感のある美を理想としたものだった。
黒色を愛し、引き算の美学というか余計なことをしない、そんな美を理想としたのだ。
これはサッカーでいうならば、まさにフランスW杯のヒーロー中田英寿にあてはまる。
中田英寿のプレースタイルも基本に忠実で余計なことをしない、そして一瞬の鋭いキラーパス!
まさに千利休のスタイルそのものだし、中田英寿のイタリアセリエAでの成功で、日本人選手の多くがヨーロッパに進出するのはもはや当たり前となった。
そういう意味では日本サッカーも中田英寿前と後に時代をわけることは可能だと思うのだ。
そしてアイドルでいうならば、これは間違いなくAKB48だろう。
AKBはアイドルの世界を変えたといってもよいのではないだろうか。
最も強烈なインパクトは、そんなに「可愛くない」ということだった。
クラスで一番可愛い子ではなく、「クラスで3番目に可愛い子を集めた」という秋元康の言葉は衝撃である。
千利休が朝鮮半島の日常雑器だった高麗茶碗の価値を圧倒的に高めたことを彷彿とさせるではないか。
その後、AKBはグラビアアイドルという存在を消滅させたし、すべてのアイドルの仕事はAKBがすべて行っていた時期が確かにあったように思う。
そう考えると、千利休に相当するのは異論もあるかと思うが、やはり前田敦子ということになるのだろう。
モーニング娘は?
そんな声がどこからともなく聞こえてきそうだが、それはとりあえずいったん無視することにしようと思う。
古田織部の茶の湯
そして千利休後は、弟子の古田織部の時代がくる。
古田織部の茶の湯は「ひょうげ」という言葉で表現されるが、ようは緊張からの緩和だ。緊張が緩んだことによる笑いやおかしさが原点だ。
そして開放感にあふれ、当意即妙な自由な発想。
完成されたモノにあえて傷をつけるといった、完璧なものはおもしろくない、あえて着崩すといった美意識が織部の魅力だ。
これはサッカーに例えるなら間違いなくファンタジスタ中村俊輔だ。
圧倒的なテクニックでゴールにパスする芸術的なフリーキック。
受け取り手のことを考え尽くした変幻自在のパス。
必ずしも順風満帆なサッカー人生を歩んでいないところも含めて、まさに織部にふさわしい。
アイドルに例えるなら、同じAKBだが指原莉乃ということになるだろう。
決して正統なアイドルとは言えないが、バラエティ番組での対応力やセンスなど、正統という意味では渡辺麻友の方が圧倒的にアイドルらしいのに指原莉乃がAKBの先頭を走る姿は、千利休の茶を最も忠実に受け継いでいたはずの細川忠興が千利休の後継者となることができず、古田織部が天下の大宗匠となった姿を彷彿とさせるのだ。
小堀遠州の茶の湯
その後、茶の湯の世界は織部の弟子の小堀遠州の時代がくる。
小堀遠州の特徴は「綺麗さび」と呼ばれる。
キーワードは洗練。
アンチから正統への回帰とも言える。
「侘び茶」は権力と戦って獲得しなくてはならない美意識だった。
しかしここにきて「侘び茶」は権力から与えられ当然のようにそこにあるものとなった。
結果、「侘び茶」はサブカル、カウンターカルチャーからメインカルチャーとなる。オタクカルチャーだったアニメがクールジャパンになったようなものだ。
こうなると思想性はなくなり、テクニックとしての美となる。
そうなると必然的に、村田珠光・武野紹鴎・千利休・古田織部たちがさんざん否定してきた道具自慢の室町時代の茶の湯が見直されるし、全然関係のない伊勢物語などの平安時代の古典や和歌の要素が入ってくるようになる。
結果、優美さや気品などが茶の湯で表現されることとなった。
これはサッカーでいうならば、香川真司だろう。
もう海外でプレーすること、UEFAチャンピオンズリーグに出場することも当たり前となった。
そしてプレースタイルも泥臭さがあまりなく、狭いスペースを美しい香川ターンですり抜けていくといった、とても洗練されてスマートなスタイル。
まさに小堀遠州のスタイルではないだろうか。
アイドルならば乃木坂46の登場だ。
AKBのようなガツガツ感が一切なく、露出も少なく清楚なイメージ。
AKBはグラビアアイドルだが、乃木坂は白石麻衣をはじめモデルである。
とても同じグループとは思えない。
そんな部分もまさに小堀遠州的といえるだろう。
小堀遠州後の茶の湯
茶の湯が公式行事として行われた黄金期はここまでである。
5代将軍徳川綱吉の元禄期以降、茶の湯は政界の公式行事から外れ、非公式の楽しみとなる。
茶の湯は裏・表・武者小路の三千家による家元の時代となり、有名な人物としては江戸時代後期の松江藩主松平不昧の名前が出てくるくらいだろうか。
*松平不昧についてはこちらの記事もどうぞ
【歴史トーク】松平不昧に学ぶ文化都市・松江の作り方
明治になると女性の活躍と近代数寄者の登場という時代が来るのだけれど、まずはここまでで一旦筆を置きたい。
文責:安藤竜(アンドリュー)
最後にまとめの図をどうぞ
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