Road of 関ヶ原【前編】豊臣秀吉政権とはアメリカ合衆国である

分かっているようで、分かっていない。
そんな微妙な存在。それが関ヶ原。
8月26日(土)に映画も公開されますね。
天下分け目の関ヶ原なんて言葉もあり、この合戦で徳川家康は石田三成に勝利し、征夷大将軍に就任。江戸幕府を開くことになります。
しかし関ヶ原合戦自体は実際は徳川家康の勝利ともいえず、微妙な勝利だったという説が最近は有力です。
そして、そんな微妙なニュアンスを理解するには、そもそも豊臣秀吉政権はどんな政権で、どんな問題を抱えていたのか。
ここを理解しないといけません。
関ヶ原からだいぶん遠いのですが、まずはそこから話を始めたいと思います。
豊臣秀吉と徳川家康
豊臣秀吉は言わずと知れた織田信長の有力家臣。
織田信長が本能寺の変で倒れてから明智光秀を倒し、天下取りレースの先頭に立つことに成功しました。
そんな豊臣秀吉にとって目の上のたんこぶが2人いました。
織田信雄と
徳川家康です。
本能寺の変の後、織田信長政権を完全に乗っとろうとしていた秀吉にとって、信長の次男というだけで敬わなければならない、使えない創業家一族の織田信雄は非常に面倒くさい存在でした。
そして徳川家康は三河、遠江、駿河、甲斐、信濃と5カ国を擁する大大名。
この2人はいずれ実力でねじ伏せなくてはならない存在でした。
そんな状況で発生したのが、小牧長久手の戦いです。
しかし、ここで秀吉は織田信雄については勝利を得るも、徳川家康に対しては敗北。秀吉は家康に対して強い負い目を感じるようになります。
すべてはここからスタートしているのです。
逆に家康にとっては、小牧長久手の戦いで秀吉に勝利したという実績は、後々まで有効であり続けたのです。
豊臣秀吉の関白就任と政権の性格
実力で家康をねじ伏せることができなかった秀吉。
仕方なく朝廷の権威を積極的に借りることにします。
関白就任です。
ただ、なぜ将軍じゃなかったの?という疑問は当然湧いてきます。
まだ室町将軍の足利義昭が毛利家にかくまわれていたからとも言われますが、当時の力関係から考えれば、その官位を義昭から奪えば良いだけの話。
疑問の答えとしては不十分ですが、ではなぜ?と言われるとわからないというのが実際のところのようです。
ただ、元々秀吉は信長と同様に平氏を名乗っていましたから、源氏のように幕府を開くのではなく平氏のように公家として政権をとるという志向を元々持っていたのではないかと私は思います。
なんにしても、これによって織田信雄や徳川家康よりも官位の高くなった秀吉は、天皇を頂点とする官位のピラミッド体制をつくり、のちには豊臣の姓と羽柴の名字を官位とともに与えるようになります。
徳川家康も一時は「羽柴」の名字を公文書で使用することになるのです。
このとき、公家の清華家に相当するもっとも高い官位を与えられたのが、後に五大老と呼ばれる人たちでした。
その下に侍従に任命された人たち、諸大夫に任命された人たち、そして官位をもらえていない人たちというピラミッドができあがったのです。
また官位とは別に、これまで重用されていた蜂須賀正勝や黒田官兵衛にかわり、
石田三成を筆頭とする五奉行が内政の専門家として浮上することになります。
その後、豊臣秀吉は関白の立場から全国に私戦の禁止を命じます。
これに応じず勝手に戦争をするものは、天皇の権威をもって秀吉が退治する。
こういう名目で秀吉は天下を治めたのでした。
アメリカ合衆国と豊臣秀吉
これはまさに、アメリカ合衆国が国連の常任理事国の名のもとに「世界の警察官」を自認し、実質世界をリードしているのと近い感覚だと私は思います。
ただ、秀吉にとって関白就任とは国連常任理事国の筆頭というポジションをつくったようなものです。
ここが少し違います。
そして、そのポジションを利用して多国籍軍を自由に指揮することができた。
そんなイメージだったのです。
実際、アメリカ合衆国はあくまでも常任理事国のひとつでしたから、ソ連が崩壊するまで長い冷戦が続くことになりました。
しかし、秀吉は常任理事国筆頭のポジションをつくることによって、ソ連に相当する徳川家康を抑え込むことに成功したのです。
そして、秀吉はその強い軍事力と発言力を使って、国連にあたる朝廷の権威を引き上げます。
その副産物として生まれたのが、豪華絢爛な桃山文化だったのでした。
つづく・・・
文責:安藤竜(アンドリュー)
主な参考文献
山本博文「統一政権の登場と江戸幕府の成立」(歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座 第5巻近世の形成』東京大学出版会、2004年)
中野等「豊臣政権論」(『岩波講座日本歴史 第10巻近世1』岩波書店、2014年)
黒田基樹『近世初期大名の身分秩序と文書』(戎光祥出版、2017年)
堀越祐一『豊臣政権の権力構造』(吉川弘文館、2016年)
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