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金沢には節分の豆まきで「福はうち鬼はうち」という武士の家があった

江戸時代、金沢には節分の豆まきで

「福はうち、鬼はうち」

という武士の家がありました。

その家は加賀藩士の富永家。

元祖の富永勘解由左衛門は石高は1500石。足軽頭や旗奉行を務めました。

自宅は金沢の繁華街である香林坊。

*古地図アプリ「古今金澤」で撮影。ダウンロードはこちらから

現在でいうと、ちょうど東急スクエアの裏手。

ダイコクドラッグや靴のSTEP、純喫茶ローレンスなどがあるあたりの結構広いエリアにあたります。

では、なぜそんな風習が生まれたのでしょうか?

「鬼はうち」の由来

『金沢古蹟志』という本があります。

この本の第8編巻22の「富永氏伝話」の項目に元ネタがありました。

*『金沢古蹟志』の該当ページはこちら
*『金沢古蹟志』についてはこちらの解説が詳しい。

内容を要約してみると、

ある年、大火事があり自宅が燃えようとしていたが、鬼のようなものが現れ、大笠を使って火を防いでくれたので、その難を逃れた。
よって鬼を家の守護神として、毎年追儺(ついな:節分行事の前身の儀式)の祝詞にも、この家に限っては「福はうち鬼はうち」と言って、大豆打ちの儀式をし、年頭には鬼と盃をとりかわす儀式などもあった。

とあります。

火事を鬼が守ってくれたのです。

さらに子孫の家に伝わる伝承では、鬼が現れたのは土蔵の上だったので、鬼は土蔵に祀られていたのだそう。
毎年元旦には当主と長男が白装束をつけて土蔵に入り御神酒を供えるのだけれど、必ずその御神酒は一夜にしてなくなったのだとか。

ルーツはもっと古いという説も

しかし、ルーツはもっと古いという説があるのです。

『三洲奇談』という本があります。
この本の106ページ。「宗替の変異」という項目に富永家についての話が載っているのです。

*『三洲奇談』はこちら。コマ番号62/142を参照ください。

これによると、富永氏のルーツは役行者の脇士である前鬼・後鬼につかえて不老不死の仙人になったとあります。

富永氏のルーツは鬼であり、火事から守ってくれた鬼というのはご先祖様だったのでした。
つまり、富永家にとって鬼を祀るというのは先祖を祀ることと同義でした。
だからこそ、節分でも「鬼はうち」だったのです。

 

余談 大野庄用水をなぜ鬼川と呼んだか

長町武家屋敷跡にある御菓子屋さん「たろう」。
ここは鬼川店といいます。

なぜ鬼川なのかというと、この「たろう」の脇を流れる大野庄用水を鬼川と呼んだからなのです。

鬼川という名前は、大野庄用水を荷物を運ぶ川、御荷川とよんだことに由来すると言われていますが、順序が逆だという説があります。
『潤光山養智院之誌』によると、鬼を祀る家である富永氏が大野庄用水の開削を行ったから鬼川というようになったのだそうです。

養智院は明治時代に罹災し、これを証明する文書は残っていないそうですが、もしそうだったとしたら面白い話でありますね。

参考文献

小倉學「金沢の富永家とその伝承」『加賀・能登の民俗 小倉學著作集第3巻 信仰と民俗』(2005年、瑞木書房)

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