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北陸のタカラヅカ 粟ケ崎遊園と少女歌劇

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

あまり公表したことがなかったのですが、私は実は高校から大学生くらいまで結構な宝塚歌劇のファンでございまして、とくに大好きだったのが安寿ミラさんがトップだった、いわゆるヤンミキ時代の花組。
大学生のときは男2人でタカラヅカを見に行く会というのを結成していたほどでした。

そんな私が金沢に移住、「戦前には金沢にも少女歌劇があったんだよ」なんて言われれば、どんな場所だったのかぜひとも見に行かなくてはなりますまい。

 

内灘町歴史民俗資料館へゴー!

粟ケ崎遊園については、ここ内灘町歴史民俗資料館で資料を見ることができます。

粟ケ崎遊園は、大正14(1925)年、「北陸の材木王」と呼ばれた平澤嘉太郎によって開業。

広さ約6万坪(兼六園の2倍)。
温泉には滝が流れ、演芸場、食堂、遊技場、海水浴場、動物園、高さ70mのすべり台(大山すべり)、ホテル、野球場、スキー場まで建設。

遊園地と海岸の間を乗合自動車で結び、金石と河北潟の間には15人乗りの水上飛行機が飛んだと言われます。

本家本元の宝塚歌劇が、箕面有馬電気鉄道(のちの阪急電鉄)の終点となった宝塚駅への旅客誘致を目的とした宝塚新温泉(のちの宝塚ファミリーランド)のアトラクションのひとつとして生まれたように、粟ケ崎少女歌劇も浅野川電気鉄道の利用客を増やすための手段としてスタートしました。

内灘町歴史民俗資料館には粟ケ崎遊園本館入口跡が残されています。
コンクリートのテーマパーク跡というのは、ちょっとせつないですね。

昭和3(1928)年、粟ケ崎遊園少女歌劇団結成

さて少女歌劇団は粟ケ崎遊園の1000人規模の大劇場にて活動し、最盛期には約40名の団員が所属。本格的なオリジナルレビューを上演。
「北陸のタカラヅカ」と呼ばれるようになったといいます。

宝塚歌劇団の劇団員は「タカラジェンヌ」と呼ばれますが、粟ケ崎遊園の歌劇団員は「アワジェンヌ」と呼ばれました。

当時のトップスターは壬生京子さんやミラノマリコさん。

ミラノマリコさんがトップだった時期が昭和7年ごろ、壬生京子さんがトップだった時期が昭和10年ごろだったようです。

今でも通用する格好良さではないでしょうか。

「夏のをどり」などのレビューだけでなく、「勧進帳」や「シンデレラ物語」なんて演目もあったのですね。

どんな内容だったのか気になります。

当時の舞台の写真はさすがに現在に比べると寂しさはありますが、北陸でこんな場所があったんだなあと思うと、今はもう残っていないのが残念です。

粟ケ崎遊園は戦争の気配が強くなる昭和16(1941)年に休園となり、そのまま閉園となります。
宝塚歌劇は戦争時の休園を乗り越え戦後に復活を遂げますが、粟ケ崎少女歌劇は残念ながら戦争を乗り越えることができなかったのです。


内灘町歴史民俗資料館 風と砂の館

住所  :石川県河北郡内灘町字宮坂に455番地
電話  :076−286−1189
開館時間:10:00〜17:00
休日  :火曜日、年末年始

 

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