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天下無双の「名人越後」富田重政と主計町茶屋街の由来 加賀藩人物烈伝vol.1

富田重政は中条流の兵法の達人で「名人越後」と称された人物です。

父は山崎弥三兵衛景邦。
富田重政も元々は山崎与六郎(のち六左衛門)という名前でした。

富田重政の人生

富田重政(このときは山崎与六郎)は前田利家が府中三人衆となった天正3(1575)年、11歳のときに前田利家に100石で仕えました。
その後、天正12(1584)年に同門だった中条流剣術中興の祖といわれる富田景政の婿養子となります。
富田景政は七尾城の守将となったり、豊臣秀吉(秀次という史料もある)の剣術の師範でもあったほどの人でしたが、子の与五郎が近江柳ケ瀬の合戦で討死。
ほかは娘2人だけで男子がなかったため、門弟だった山崎与六郎(のちの六左衛門)を婿に迎えたのです。

その後、重政は末森城の戦いや小田原の北条攻めに従軍。
文禄(1593〜96年)の頃、義父の富田景政が没した際に遺領の3,400石を継ぎました。

慶長5(1600)年には、北陸の関ヶ原と呼ばれる大聖寺城攻めや小松の浅井畷の戦いでも戦功をあげ、13,670石を与えられた重政は晴れて人持組の一員となります。
金沢城の新丸に屋敷が与えられ、その場所は後々まで越後屋敷と呼ばれて使用され続けます。

重政は慶長18(1613)年に隠居して、3,000石(2,000石という記録もあります)を隠居料としてうけるようになりますが、その後も大坂の陣に2回とも従軍するなど活躍は止まりません。
冬の陣では夜中に鉄砲をつるべ撃ちされるも、手元にろうそくを持って馬に乗り、片手で手綱を持って下知するなど摩利支天のようだと評されました。
また家臣たちも勇猛で、重政の軍だけで19の首級をあげたと言われています。

その後、前田利長の下知で今の東茶屋街の裏の卯辰山に摩利支天堂を建立。
今も宝泉寺として残っています。

摩利支天宝泉寺HP

また三代将軍家光の前で柳生但馬守宗矩と展覧試合をするよう申し付けられる(結局中止)など、その剣術は加賀藩を超えて評価を受けました。

剣術の達人としてのエピソード

あるとき、三代前田利常が茶室で無理難題を重政に言います。

「なんじの家に『無刀取りの術』があるという。ではこれを取ってみよ」

そう言って利常は突然真剣を抜きだしました。

しかし重政は慌てず謹んで承り、

「無刀取りの術は家の秘密です。後ろの戸の隙間から人が覗いていますので、これを制してくだされば従いましょう」

と答えました。

利常はいった誰が覗いているのか?

と後ろを振り向いたところ、重政はすっと利常のそばに寄り、利常の拳を捕まえて

「我が家の『無刀取』というのはこういうものです」

と答えたのだそうです。

重政没後の富田一族

富田重政は寛永2(1625)年4月19日に没します。ときに62歳でした。

長男の重家は、宇喜多秀家と豪姫の娘(前田利家の娘。豊臣秀吉の養女となる)を妻とし、大坂の陣でも戦功をあげましたが、父より早く24歳で亡くなります。

そのため弟の重康が跡を継ぎ、同じく越後屋敷に居住しました。

重康も中条流剣法の達人でしたが、のちに中風となったことで「中風越後」と呼ばれたといいます。お父さんと違って、かなり可哀想なあだ名ですね。

しかしこの重康も42歳と若くして亡くなり、子の重次は幼少だったため富田家は5,000石となります。
重次は前田利常に従って小松城下にいましたが、あろうことか重次までも16歳で亡くなります。
11歳で重政の外曾孫の重持が急遽跡を継ぐことになり、富田家はとうとう3,000石にまで減少することになるのです。
幕末の文久年間の「加賀藩組分侍帳」(金沢市立図書館)では2,500石(富田治部左衛門)

重持は万治2(1659)年に小松から金沢へ戻り、今の金沢近江町郵便局の位置に屋敷が与えられました。
古地図アプリ「古今金澤」(寛文金沢図)では「富田治部左衛門」として記されていますので、ぜひ見てみてくださいね。

古今金澤ダウンロード

主計町茶屋街の名前の由来

ちなみに、金沢の主計町茶屋街の「主計町(かずえまち)」の地名の由来は、富田主計の屋敷があったからというのは金沢では有名な話ですが、この富田主計は富田重政の3男。

父重政の隠居領だった3,000石を継ぎ、主計町のあたりに屋敷を構えました。

しかし子がいないまま寛永13年に没。家は断絶となり今では地名にのみ、その名を残すことになるのです。

<参考文献など>

『金澤古蹟志』(金沢市立図書館ホームページ)

「越後屋敷」「富田越後守重政伝」の項目
巻5、26・27ページ
巻5、28、29ページ
 巻5、30ページ

「富田越後旧邸」の項目
巻7、53ページ

「富田主計家伝」の項目
巻28、11ページ

『三州奇談』(国立国会図書館デジタルコレクション)

「怪石生雲」の項目。コマ番号53/142
 三州奇談のリンク

『加能郷土辞彙』(金沢市立図書館ホームページ)

「富田重政」「富田重康」「富田重次」「富田重持」「富田宗高」の項目
598ページ

「富田景政」「富田重家」の項目
597ページ

『加賀藩初期の侍帳』(国立国会図書館デジタルコレクション)

「天正三年越前府中侍帳」の富田与六郎の項目。コマ番号8/146
「慶長之侍帳」の「富田下野」の項目。コマ番号19/146
「寛永四年侍帳」の「富田越後」「富田主計」の項目。コマ番号51/146
「寛永十九年小松侍帳」の「富田越後」の項目。コマ番号74/146
「寛文元年侍帳」の「富田治部左衛門」の項目。コマ番号82/146
「寛文九年侍帳」の「富田治部左衛門」の項目。コマ番号102/146
「寛文十一年侍帳」の「富田治部左衛門」の項目。コマ番号107/146

 加賀藩初期の侍帳のリンク

『加賀藩史料』(東京大学史料編纂所近世編年データベース)

「富田越後守重政卒す」の項目
*本記事に書ききれない多くのエピソードが載っています。

『加賀藩史稿 第6巻 列伝4』

国立国会図書館デジタルコレクション。コマ番号54/73
古絵図・貴重書ギャラリー – 富山県立図書館。20〜28ページ

*こちらも多くのエピソードが載っています。

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