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城下町金沢と江戸を比較する vol.3 市場編〜日本橋魚市場と金沢近江町市場〜

金沢と江戸。

2つの城下町を比較して、深堀してみるシリーズ第3弾です。

城下町を理解するにあたって、吉田伸之さんはその著書で城下町を「分節的」に把握することの有効性を述べられました。

ざっくり言うと、城下町は下記のような要素から構成されていて、これらの特徴をみることで、城下町ごとの特徴や共通点を見出そうということ。

・城郭
・武家屋敷
・町人地の大店
・市場社会
・寺院社会
・遊郭社会

そして、城下町金沢の武家屋敷のあり方から、江戸と金沢の共通点を見出しました。
そこで、ならばそれ以外の要素でも可能な限り比較してみよう。
それが今回の企画です。

町人地のもうひとつの発展型・市場型

第三回のテーマは町人地の市場。
江戸は日本橋魚市場、金沢は近江町市場をとりあげます。

町人地というのは、尾張町とか近江町といった個別町(ちょう)の集合体です。そして町に住む人は身分としては商人や職人なのですが、町家屋敷を所有する(家持)だけが町人と呼ばれました。

江戸時代初期までは、バラバラな業種の町人がフラットな関係を築いていましたが、江戸時代が進むにつれて2つの方向に変化していきます。

ひとつは前回とりあげた大店型。もうひとつは市場型です。

*大店型についてはこちらの記事をどうぞ
 城下町金沢と江戸を比較する vol.2 大店編

市場型というのは、元々職業がバラバラだった個別町が、同じ業種で集まった方が便利じゃない?ということで入れ替わった(または政策として入れ替えられた)ものです。

そして、

市場を構成する問屋を中心とした社会が構成されました。

金沢でいうなら、こういうことになろうかと思います。

*ちなみに問屋と仲買の性格の違いなどについては別の記事も参照していただくと嬉しいです。
 江戸時代のプラットフォームビジネス〜問屋と仲買の違いから〜

魚が近江町市場に届くまで

まずは漁村の漁師たちが魚を獲ります。
*加賀藩の古文書ではよく「猟師」となっていて、山の猟師のように思ってしまいますが、海の漁師を指します。

漁を新たに行うには免許が必要で、免許をとればその海面区域は自身の所有となります。そして漁獲量に応じて網役という税金を支払いました。

漁師は浜で仲買(魚屋)に魚を販売、仲買が各国の問屋(七尾、高岡、小松、宮腰)へ運びます。そこから金沢への問屋へ魚が送られました。



金沢へはブリが漁獲量の3分の1、ほかは3分の2を送らなくてはならず、あとはその土地で販売が許可されました。
また
奥能登は金沢が遠いこともあって、富山・飛騨・越後への他国販売が許可されていました。

近江町市場での商い

そして近江町市場の商いですが、江戸時代の様子がまだよくわからないので、日本橋魚市場の事例をもとに想像してみましょう。

まず市場の土地を持っているのは問屋です。

問屋はせりを行う場(問屋庭と呼びます)を提供して、「口銭」と呼ばれる手数料収入を得ます(金沢では売上の7%でした)。
そして、この問屋庭の集合体こそが「市場」だったのです。
ですので、問屋は7%の口銭と売場の賃貸料で稼ぐ存在でした。
現在なら楽天やメルカリのような存在と思っていただければ良いでしょう。

魚問屋は誰でも勝手になれるものではなく、金沢城に魚を献上する御用と魚商人から税金の徴収を行うことで魚の集荷の特権を加賀藩から与えられました。
ですので、お城に魚を献上できない場合、市場で魚を売ることができず腐らせてしまうなんてこともあったようです。

そして問屋から場所を借りて、実際に魚を市場で販売していたのが仲買です。日本橋魚市場では板舟と呼ばれていました。

このように板の上に魚を並べて販売していたから板舟というわけです。


*近江町市場

今も魚市場はそんな感じですよね。

仲買は小売業者に問屋の定めた値段に2割の利益をのせて販売しました(小松の事例)が、漁獲量の多い日には一部の小さな魚は小売をすることも認められていました。

小売業者から庶民へ

 

そして小売業者から庶民へ魚が販売されていきますが、今のように店舗を構える魚屋さんというのは少なく、棒手振(ぼてふり)と呼ばれる行商スタイルが主流でした。

掛け売りで魚を市場から仕入れ、得意先を回って得た売上から、夕方・夜に仕入代金を支払いました。
そんなスタイルだったので、棒手振をするためには町の肝煎(町会長さんみたいなもの)に申請して、お札(許可証)を受け取らないといけませんでした。
1人につき年に2匁(魚油商人の場合、現在の約1万円)
くらいが相場だったようです。

そして近江町市場の場合では、商売札を各自腰にさげることが義務付けられ、2・8月の年2回の更新がありました。

問屋になりたがる仲買たち

基本的には上記のような仕組みで成り立っていた市場社会ですが、江戸時代後半になると少しずつ仕組みが崩れていきます。

船に乗り込んでの買い付けや料理屋などへの直接取引など、問屋を通さない直取引が盛んになっていくのです。

結果、近江町市場への魚集荷量は減少。

問屋を経由した魚の代金が高騰し、さらに近江町市場の地位は低下していくことになります。


これに対して、問屋たちは

・荷物が到着次第せりをする。
・せりの際の「決済建て替えサービス」の提供

など、加賀藩の権威だけに頼らない、顧客サービスの充実によって魚の集荷を図るなど対応をせまられることになるのです。

<参考文献>

・『金沢市史資料編7商工業と町人』(平成15年)
・『金沢近江町市場史』(北國出版社、昭和55年)
・高瀬保『加賀藩流通史の研究』(桂書房、1990年)
・ギョーム=カレ「近世初期の流通転換と問屋ー金沢を事例としてー(『年報都市史研究11消費の社会=空間史』、山川出版社、2003年)
・中野節子『加賀藩の流通経済と城下町金沢』(能登印刷出版部、2012年)
・吉田伸之「補論2寛永期、金沢の魚問屋について」(『伝統都市・江戸』東京大学出版会、2012年)

・吉田伸之『巨大城下町江戸の分節構造』(山川出版社、2000年)
・吉田伸之『成熟する江戸』(講談社学術文庫、2009年)
・塚田孝『近世身分制と周縁社会』(東京大学出版会、1997年)
・原直史「全国市場の展開」(『岩波講座日本歴史第12巻近世3』、岩波書店、2014年)
・原直史『日本近世の地域と流通』(山川出版社、1996年)
・『新修小松市史 資料編2 小松町と安宅町』(平成12年、小松市)
・深井甚三編『近世越登賀(越中・能登・加賀)資料 第二』(1997年、桂書房)
・漁業の絵は、石川県立図書館ホームページ貴重図書ギャラリー「民家検労図」より引用。
・「近代の近江町市場の歴史」(ビューティホクリクHP) 
・「魚問屋定書並仕法方及料理売人定書等」(金沢市立玉川図書館所蔵加越能文庫)
・『国事雑抄』(石川県図書館協会、昭和46年)

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