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城下町金沢と江戸を比較する vol.5 遊郭編〜吉原と金沢の茶屋町〜

金沢と江戸。

2つの城下町を比較して、深堀してみるシリーズ第5弾です。

城下町を理解するにあたって、吉田伸之さんはその著書で城下町を「分節的」に把握することの有効性を述べられました。

ざっくり言うと、城下町は下記のような要素から構成されていて、これらの特徴をみることで、城下町ごとの特徴や共通点を見出そうということ。

・城郭
・武家屋敷
・町人地の大店社会
・町人地の市場社会
・寺院社会
・遊郭社会

そして、城下町金沢の武家屋敷のあり方から、江戸と金沢の共通点を見出しました。
そこで、ならばそれ以外の要素でも可能な限り比較してみよう。
それが今回の企画です。

第5回のテーマは遊郭。
主要な城下町の構成要素から少し離れた、でも良くも悪くもきってもきれない夜の世界。
江戸は吉原、金沢はひがしとにしの茶屋街をとりあげてみます。

吉原をめぐる人々


吉原は江戸時代初期、元和3(1617)年に設置された江戸幕府公認の遊郭です。
40年後の明暦3(1657)年に浅草日本堤に移転し、そこは新吉原と呼ばれました。
前回の寺院編でとりあげた浅草寺のすぐ近くですね。

遊女屋の数は幕末の慶応2(1866)年に214軒。

大見世、交り見世、町並小見世、小格子、局見世などがあり、
客数は毎日3000人余。

芸者は254人、遊女は1,469人もいる巨大遊郭でした。

遊女の料金は72匁、48匁、44匁、30匁、20匁と様々で、見世への口銭(手数料)は2割でした。
*1両=60匁。1両=30万円とすると1匁=5,000円。

茶屋は遊客を遊女屋へ案内し、客から預かった揚代金を管理。その手数料を口銭として手にしていました。

芸者の料金は、芸者1組2人で銀20匁。
その
取り分は芸者2人が9匁、茶屋が3.75匁、芸者引受人が7.25匁となっていました。
芸者は遊女屋や茶屋などに所属したり、フリーの場合もありましたが、のちに大黒屋庄六という芸者引受人(芸能プロダクションみたいなもの?)に所属するのが主流になります。

大黒屋は吉原のインフラをほぼほぼ一手に引き受ける存在でした。

つまり、吉原の構成員としては、遊女や芸者のほか、

・遊女を抱える遊女屋
・遊客と遊女屋を媒介する茶屋
・芸者を提供する大黒屋
・それらをとりまく多様な人々
(あんま、髪結い、質屋、夜商人、鳶(火消)、旅籠屋、出入りの商人・職人、口入(女衒)、水茶屋・船宿)

などに支えられて存在していたのです。

吉原の内部構造

吉原はご存知のように四隅を囲われ、衣紋坂を登って大門をくぐるとそこ以外からは出られないようになっていました。

衣紋坂の様子。

そして、大門をくぐると左右に遊女屋が広がっていたのですが、その前に茶屋が広がり、ここから遊客は遊女屋につなでもらうことになるのです。

金沢の東西茶屋町

*雪のひがし茶屋街

*雪のにし茶屋街

*雪の主計町茶屋街

金沢には現在、ひがし、にし、主計町と3カ所に茶屋町が存在します。
現在は遊郭的な場所ではほぼなくなり、ごく一部に残すのみとなっています。

このうち主計町は明治以降(明治2年と言われるが詳細不明)にできた茶屋町で、江戸時代は東西の茶屋町のみが存在しました。
*主計町の町名に由来については下記の記事も参照ください
 天下無双の「名人越後」富田重政と主計町茶屋街の由来

文政3(1820)年3月に東西茶屋町は加賀藩公認となり、10月から営業が開始されますが、もちろんそれ以前にも遊所は存在しました。

まずは、そこから見ていきましょう。

茶屋町公認までの歴史

茶屋町が公認されるまでは、出会茶屋(宿)と呼ばれるものがありました。

基本、一貫して藩は禁止しており、
寛保3(1743)年には金沢町端の出会い宿が摘発されています。


下川除町、笹下町、母衣町、卯辰、観音坂下、漏尿坂(ろうばりさか)(塩屋町)、馬坂などに遊女のいる出会宿がありました。

「綿津屋政右衞門自記」という記録には、

観音坂下に座敷女が多い。
藤田屋は座敷に虎の間、竹の間といった名をつけ贅沢な遊郭のようなつくりである。

禁止の遊びのため、客人を迎えての遊びは大声を出せず、おかしな格好をして酒を飲むばかり。
下女に用事のある際は、煙草盆などを叩いたり、咳払いで合図ろうそくも灯せず、行灯に前掛けをかぶせて暗がりで遊ぶ。

などと書かれています。

茶屋町公認に向けて

12代藩主の前田斉広(なりなが)のとき、町方の人気が和するような方策を!

ということで、城下町の経済活性化
のために遊所や歌舞伎公認の議論がスタートしました。
この頃は飢饉も少なく、11代将軍家斉のインフレ誘導政策のため景気が良く、江戸では葛飾北斎や歌川広重などが活躍し化政文化が花開いた頃です。
金沢でもそんな雰囲気から茶屋町公認の動きが起こったのです。

実際、遊所のようなものは東西をはじめ数十カ所も既にあり、
出会宿は、加賀藩士の家に勤める女奉公人や町の奉公人でも営んでいるものがいる。

そして女奉公人が客からもらった流行の衣装で加賀藩士の屋敷に奉公するため、藩士の奥方も流行のものを買いたがる。

という昼はOL、夜はキャバ嬢のような働き方が普通に行われ、いちいち違反を正していたら町中の大半が罪人になるという状況がありました。

また、金沢に遊郭がないことから、わざわざ隣国の越前三国の遊郭に通う者もいて、他国にお金が流出している状況も背景にあったのです。 

文政3(1820)年、東西茶屋町公認

茶屋町公認を献策したのは、年寄の村井長世(又兵衛)でした。
彼はこれ以外にも藩として特産品(とくに小松絹)の質を高め、江戸で販売しようと企画するなど、今でいうところの地域活性化に取り組む産物方のリーダーでした。

遊女は「水茶屋女」「飯盛」の名目で置かれ、遊郭も「茶屋町」、遊女は「茶屋女」と呼ばれました。

卯辰茶屋町(東)と石坂町(西)の2カ所に、各1町(110m)四方の地を囲って設置され、入り口には黒塗りの木戸がたてられました。

東の茶屋町には茶屋84軒と風呂屋・楊弓場がありましたが、メイン通りにある「志摩」と、その裏通りにある「中や」(現お茶屋美術館)は今も当時の茶屋の建物を見ることができます。志摩は抹茶もいただけて素敵だし、中やは群青の間が美しいのでオススメです。

志摩ホームページ
お茶屋美術館(旧中や)ホームページ

茶屋町の地面代は1坪5匁5分。
茶屋の口銭(手数料)は西の茶屋町では、2朱・6匁の女が9文、5匁の女が7文、3匁の女が5文。
茶屋女の料金は銀10匁、金2朱、銀5匁、銀3匁となっていました。
*1両=60匁

茶屋女は当初は金を払えば郭外に出られましたが、のちに江戸の吉原同様に禁止されることになります。

その後の東西茶屋町

賑わった東西茶屋町も12代藩主斉広と年寄村井長世の死去に伴い、少しずつ陰りを見せはじめます。
世の中も不景気になり客数の減少がみられたほか、本来遊ぶことが許可されていなかった武士や僧侶の遊客が多く見られたことから、天保2(1831)年、13代藩主斉泰によって出会宿とともに廃止されるのです。

たしかに、この「東新地絵図」を見ても刀を差している人がちらほらと・・・

全国的にも贅沢を禁止した天保改革の時期であり、茶屋町廃止は日本全体の雰囲気を象徴する政策だったといえるでしょう。

しかし幕末にむけて、再度経済を活性化させようという機運が盛り上がった慶応3(1867)年、またもや茶屋町が解禁されます。
13代藩主斉泰が隠居し、慶寧が14代藩主に就任した際の政策転換でした。

このときの東西の茶屋町(東新地・西新地と名称が変更された)の構成は以下の通り。

東新地
<店舗>
・茶屋118軒、料理屋2軒、湯屋1軒
<人員>
・
芸妓125人・雛妓3人・遠所芸妓47人
・娼婦161人
・不明5人

 計341人

西新地
<店舗>
・茶屋:86軒、料理屋1軒、湯屋1軒、米屋1軒、貸物所1軒
<人員>

・芸妓57人、遠所芸妓29人
・娼婦104人
・不明6人
 計196人  

芸妓は茶屋に所属し、吉原の大黒屋ような存在はいませんでした。

明治以降の茶屋町

明治になると、明治5年に茶屋町は一旦廃止されますが、金沢市の要請をうけて翌年に貸座敷としてまたもや再興されます。
そのとき東西だけでなく、北新地、主計町と遊所が拡大。
芸妓と遊ぶ「廓(くるわ)」、娼妓と遊ぶ「遊郭」と微妙に位置をわけつつ存続し、「廓」部分のイメージをもとに現在の観光地へとその姿を変貌させていくのです。

<主な参考文献>

・人見佐知子「茶屋町の変遷」(『古地図で楽しむ金沢』風媒社、2017年)
・人見佐知子『近代公娼制度の社会史的研究』(日本経済評論社、2015年)
・長山直治『加賀藩を考える〜藩主・海運・金沢町〜』(桂書房、2013年)
・『芝居と茶屋町』(石川県図書館協会、昭和47年)
・竹内誠編『日本の近世14 文化の大衆化』(中央公論社、1993年)
・塚田孝『近世身分制と周縁社会』(東京大学出版会、1997年)
・吉田伸之「遊郭社会」(『身分的周縁と近世社会4 都市の周縁に生きる』吉川弘文館、2006年)
・『金沢市主計町伝統的建造物群保存対策調査報告書』(主計町歴史環境保存研究会、2002年)

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