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大阪加賀藩紀行〜淀屋橋・堀江の加賀藩大坂蔵屋敷跡〜

 歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。

先日、大阪出張がありまして、そのついでに加賀藩の大坂蔵屋敷跡を訪れてきましたよ。

*ちなみに現在は「大阪」ですが、江戸時代は「大坂」だったので、微妙につかわ分けておりますw

そもそも大坂蔵屋敷とは大坂に年貢米を船で輸送し販売するための倉庫兼事務所だったわけですが、その仕組みが始まったのは三代前田利常のとき。

もともとは福井県の敦賀から琵琶湖を使って滋賀県の大津まで運び、大津で販売したり、京都まで陸路で運んで販売したりしていました。
もちろん金沢でも販売していたし、加賀藩領内の鉱山や塩を製作する塩士と呼ばれる人々にも販売されていました。

加賀藩奥能登の揚げ浜式製塩と塩専売制とは?(前編)

しかし、なんせ100万石ですから、米の量も膨大。
結果、すぐに価格が安くなってしまうのが課題でした。

そこで大坂の淀屋常安と組んで、日本海を船で運航するルートを開発し、それがのちに北前船につながっていくことになるのです。

北前船とは何か?【前編】

ちなみに大阪メトロ御堂筋線に淀屋橋という駅があり、まさに淀屋橋という橋もありますが、これこそ淀屋常安が財を提供してつくった橋なのです。

淀屋橋付近には淀屋の屋敷跡の碑もあります。

そして、川をはさんで向かいにある日本銀行大阪支店。

こちらの敷地の左側の一部が加賀藩の蔵屋敷だったと言われています。

ただ、こちらはどうやら事務所の要素が強かったようで、実際に米が運ばれたのは大坂メトロなんば駅の辺り、南堀江だったようです。

大坂蔵屋敷は2カ所にあったのですね。

現在はキャナルテラス堀江というオシャレなスポットになっております。

水辺のオープンテラスで飲むビールは美味しそうです。

今後、もう少し大坂蔵屋敷については研究を深めていこうと思います。

<参考文献>

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