1. HOME
  2. ブログ
  3. 10月12日。それは加賀藩前田家3代・前田利常の命日です。

10月12日。それは加賀藩前田家3代・前田利常の命日です。

10月12日。
この日がどんな日か、みなさまご存知でらっしゃいますでしょうか。

それは加賀藩100万石前田家三代にして、江戸時代最高の文化人大名と言っても過言ではない前田利常様の命日なのでございます。

なんとなく、市原悦子さんの声をイメージして読んでほしいのでございます。

前田利常最後の夜

それは、万治元(1658)年のことでございました。

前日、10月11日はイノシシが多産なことから子孫繁栄を祝う行事、玄猪の祝いの日だったのでございます。


利常様は夕食の御膳をお召し上がりになり、その後、お祝いの亥の子餅が出てきたとき、いつものようにお召し上がりになることなく残してしまったのです。

思えばそのとき、すでに兆候があったのかもしれません。

その後、側近の家臣たちの夜の勤務も終了し、夜勤の者たちも宿直の部屋へと戻って行きました。

利常様は毎晩、幸若舞の九左衛門の舞をご覧になってからお眠りになるのでございますが、その夜もやっぱり九左衛門の舞をご覧になりました。

舞が終わり九左衛門が帰ってから、ちょうど八つ時頃(夜の1時半くらい)だったでしょうか。
宿直の子小姓(子供の小姓)の高澤牛之助と藤田三十郎の2人を起こし、明かりのための手燭(手に持つロウソク)を持ってくるようお命じになり、雪隠(トイレ)に行かれたのです。

その間に、手を洗う水を高澤牛之助が用意し、ほどなく利常様は雪隠から出られました。
すると、廊下で突然めまいをお感じになり、たらいのふちに手を置き、そのままそこにお座りになりました。
利常様は一番の側近である品川左門を呼ぶように高澤牛之助に命じられました。

すぐに牛之助は品川左門を呼びに行ったのですが、そのとき宿直だった藤田三十郎と永原権太夫に利常様のご気分が悪いことを伝えました。

権太夫は急ぎお薬の入ったタンスを持参し、利常様にお渡ししたのですが、利常様はお薬を取り出すこともできないありさまでございました。
権太夫はあわててお薬を利常様に飲ませようとしたのですが、薬がのどを通りません。
そして、利常様は

左門、左門

と一番の側近の、品川左門をお呼びになりました。

これが利常様の最後のお言葉となったのでございます。

宿直の当番だった別所三平と武本三七が走りよって利常様を見ると、もはや正気のご様子ではございませんでした。

2人は驚いて、急ぎ医者の岡本平兵衛を呼んで鍼治療をさせました。
その後、小松城三の丸や枇杷島へも触れをしたので、加藤正悦や藤田道仙が走ってやってきて、利常様の脈を確認いたしました。
そのうちに小松にいる藩士で登城しないものはいない状態になったのでございますが、このときすでに7つ半時(朝5時頃)。
小松中の医師が呼び寄せられ、利常様の診察をし終えた頃には東の空が白んでまいりました。
しかし、医師たちの治療もむなしく、利常様は脈も絶え、息もなされず、その命は永遠に失われてしまったのでございます。

御年66歳でございました。

前田利常の埋葬地

小松から急ぎ金沢城の老中たちへ飛脚が送られ、驚いた老中たちは相談して小松の国松寺の老僧を小松城へ呼びました。
そしてお館に利常様の遺骸を入れ、老僧に戒名をつけていただきました。
それが、

微妙院殿一峯克巌大居士

今では微妙というとあまり良い意味と思わないかもしれません。
しかし当時の意味では、趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあることを「微妙」と言ったのでございます。
文化を愛した利常様に相応しい戒名ではありませんか。

その後、防腐のための朱詰という処理が棺に行われ、居間に仏壇が置かれました。
金沢の宝円寺からも老僧が1人やってこられて、毎日・毎夜お供えをし、茶の湯と香花を捧げ、灯明をあげ、読経を続けられました。

江戸幕府から利常様の葬礼の許可が下りると、11月3日に小松郊外の三宅野(現在の埴田町付近)で火葬され、翌4日に宝円寺へとお骨は移されました。
その際、京都紫野の大徳寺から一恵大和尚がお経を読みにこられました。
こんな偉い方がお越しになったので、利常様の戒名を改めて付け直していただくべきではないかという議論もあったのですが、すでにつけられた戒名について

なるほどよい名である

と一恵和尚がおっしゃってくださったので、戒名の変更はなくなったのでございます。

宝円寺での7日間の法要の後、お骨は野田山墓地へと埋葬されました。

また分骨は国松寺に預けられ、高野山へと送られました。
そして、火葬のための御火屋がつくられた三宅野には、燃え残りを埋めた灰塚があり、今に伝わっているのでございます。

<参考記事>

11月3日は前田利常が火葬された日です

 

<主な参考文献>

『三壷聞書』利常公御逝去の事 330~331ージより
『御夜話集 上編』302~303ページより
『加賀藩史料』585ページより

文責:安藤竜(アンドリュー)

関連記事