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鶴来の由来と白山信仰を巡る歴史散歩

白山市の鶴来町(つるぎまち)は、白山麓と金沢平野をつなぐ結節点にあたる町。
白山信仰に関わる社殿造営の大工や、僧侶たちの生活物資を扱う商人たちが移り住んだことがそもそもの町の始まりだ。

鶴来の名前の由来

鶴来は元々、「剣」と書いていた。
しかし江戸時代のはじめ、西暦1620年頃に火災が6年間に7度も発生した。そこで「縁起の良い文字に変更しよう!」ということで、鶴が来ると書いて「鶴来」にしたと言われている。

「剣」の町名の由来は、町内にある金剣宮という神社から。
金剣宮は白山の剣ヶ峰の里宮にあたる。

最近は「剣」より「金」の方が重視されて、白山信仰というよりは金運のパワースポットとして有名だ。

古代・中世の白山本宮

古代から鎌倉時代までは、白山宮・金剣宮・岩本宮・三宮の4社をまとめて白山本宮と呼び、40余の社殿や仏堂があったという。

白山信仰は白山衆徒と呼ばれた神主・神人・僧侶などが入り混じる神仏習合の宗派で、比叡山の末寺だったこともあって、どちらかというと神社というよりは寺院としての性格が強かった。

実際、白山本宮の運営は白山宮に政所という組織があったのだけれど、僧侶8名・神職2名という体制だった。

源平の戦いが起きた時は木曾義仲に味方して平氏と戦ったほか、倶利伽羅峠の戦いでは金剣宮の神宝が現れたおかげで勝利できたとして、木曽義仲は馬を金剣宮に寄進している。
また源義経も安宅の関を突破した後、金剣宮に参拝をしたと言われている。

このように大きな権力を持っていた白山本宮だったが、室町時代あたりから様子がおかしくなる。
宗教勢力が力を持っている状態を、室町幕府が許さなくなるのだ。

結果、隣の野々市市に館があった加賀国守護(当時の県知事にあたる)の富樫氏も静観していられなくなり、白山本宮と対立するようになる。

実際、野々市市の富樫館付近(ちなみに実際の富樫館跡は上の写真の石碑の場所ではない)にある布市神社は、白山に水引幕を奉納する代わりに染物商売の権利を認められた白山水引神人に信仰された神社で、富樫氏のお膝元にも白山本宮の勢力は及んでいたのだ。

しかし、それも少しずつ衰退していくことになる。

さらに戦国時代に入ると、守護の富樫氏に代わって一向一揆の勢力が拡大。さらに白山本宮の勢力は弱まっていく。
結果、この頃に白山宮は焼けてしまい、再興することもできず、三宮があった場所に移転。これが現在の白山比咩神社だ。

白山比咩神社のすぐ隣に山があるが、これは船岡山といって元々白山本宮の衆徒が籠るお城だった。
しかし、のちには一向一揆の城となってしまう。
すぐ隣の山城すら奪われてしまったのだ。

江戸時代の鶴来

それほど勢力が小さくなってしまった白山本宮が再び蘇るのは江戸時代に入ってから。
2代藩主の前田利長が白山万句と呼ばれる連歌を奉納したり、3代藩主前田利常の病気の祈祷などが行われた。

この頃は神主10人体制となり、神社としての性格が強くなっていた。

鶴来は加賀藩の扱いとしては「村」扱いだったが、実質は町であって居住している人々も「●●屋」を名乗っていた。
白山宮・金剣宮の門前町であり、交易の山と平野部を結ぶ交易の場であり、公文書などを運ぶ宿駅としても繁栄を遂げることになったのだ。
人口も明治12年の記録では3,262人おり、石川県内では9位の人口を誇っていた。

鶴来の産業(菊酒・糀・煙草・炭)

鶴来の産業として、真っ先に挙げられるのがお酒だ。
神社への奉納用として、手取川の水と良質の鶴来米の存在を背景に発展を遂げ、加賀の菊酒という言葉で知られる。

菊酒の由来は、菊水・菊の露を飲んで長生きした中国の故事や、手取川上流の山中の菊に雪が滴り落ち、それを汲んで酒を造ったとか、鶴来の女性のお菊さんが創始したとか、白山比咩神社の祭神の菊理姫(くくりひめ)にちなむなどの説がある。
江戸時代の銘柄には「菊の露」「初花」などがあったようだ。

他にも、糀や炭、煙草、農鍛冶などが特産としてあった。

このように白山信仰の拠点や交通の要衝という点から発展を遂げた鶴来は、文化面でも特徴を見せ、鶴来社中という茶の湯や俳諧などを楽しむサークルが存在し、金剣宮には俳句の額が奉納されている。

鶴来観光おすすめルート

では改めて、このような歴史あるまち鶴来を楽しむ観光ルートをおすすめしてみたい。
今回は金沢からのルートを紹介してみようと思う。

まず、最初に行って欲しい場所は岩本宮だ。

鶴来でもなんでもない。
隣の能美市にある神社なのだけれど、白山四宮の一つ。
やっぱり抑えておいて欲しいと思うのだ。

続いて鶴来の町名の由来となった金剣宮に行ってみよう。

義経の腰掛石や、義経も眺めたと思われる鶴来の町並みを眺めてみたい。今は木が多くてあまり見えないのではあるけれど。

その下には不動滝と幕末の勤皇の志士・小川幸三の石碑がある。
加賀藩は勤皇派があまりいなかった藩なのだけど、数少ない勤皇派だった人が小川幸三。
この人は元々加賀藩士ではなくお医者さんだった。
しかし人より日本を治したいといって、勤皇の志士になったという熱い人だ。
幕末フリークは抑えといてもいいんじゃないかな。

ちょっと余裕があれば、近くの浄土真宗鶴来別院にも行ってみたい。
結構な規模の寺院で、北陸の一向一揆の強さがイメージできるのではないかと思う。
また駐車場には、加賀藩の筆頭家臣本多家の屋敷にあった門が移築されている。金沢で本多町にある鈴木大拙記念館に行って、本多家の屋敷の広さをもし体験していたりなんかしてたら、これは必見だ。

その後は、いよいよ白山比咩神社に向かおう。

八幡町という交差点で右折して、表参道に向かって欲しいのだけど、その時右手に見える山が船岡城だ。
あまりの近さに結構驚くと思う。
現状、整備がしっかりされているわけではないので、登山はあまりおすすめしないよ。

坂を下ると可愛い鶴亀の鏝絵が見られる。
この蔵を左に曲がると白山比咩神社だ。

坂上の大通りの駐車場に車を止めて参詣してもらっても良いのだけど、わざわざ坂下に降りて表参道から参詣して欲しいのは、この雰囲気を味わって欲しいから。
ものすごく良い気が充満していると思うのだ。

本殿でしっかりお参りしたら、奥宮もお参りして欲しい。
奥宮のさらに奥には禊場もあって、禊体験もできるらしいぞ。

そして、もちろん宝物殿も見学して行って欲しい。
白山の縁起などの中世文書、刀剣、前田利常からの書状などが見られるよ。

駐車場に戻ったら大判焼もいいね。
お隣には美味しいおはぎソフトもあるのでおすすめだ。
ご飯も食べられるので、お腹が空いたらここでランチもあり。

加賀一の宮駅は残念ながらもう使用されていない。
その代わり休憩所になっているので、少し休憩してから裏の古宮公園に向かおう。

ここに本来の白山宮があったのか!!!!
と、ぜひ気持ちを上昇させて欲しい。
しかし実際のところ、この公園は別のものを見せるための公園なので、ついでにそれも楽しむべし。

それは七ヶ用水の取水口(よく見えないけど)。
すぐ近くを流れる手取川は大河のため、江戸時代を通じて暴れ川だった。
そのため用水の取水口が常に壊れてしまって、水がうまく田んぼに引けなかったのだ。
それを幕末の頃、枝権兵衛という人が難工事の末に改善したことから、この付近では英雄なのだ。
そんな枝権兵衛の苦労の成果と、中世から用水の取水口が流れてしまわないように信仰されていた水戸神社にお参りすることで、洪水に苦労した当時の人々の思いをイメージしてみよう。
時間があれば七ヶ用水を見に行っても良いと思うよ。

それでは最後に、鶴来のまちを散策だ!

鶴来のカフェ・パン・蔵元など

まず今町付近の街並みを堪能しよう。
ここでは煎りたてコーヒー豆専門店のCafeハッカさんがおすすめだ。

こんな看板を見ると、山と平野部の交易の場だったことが良くわかるね。

そのあとは個人的に大ファンの、あさひ屋ベーカリーでパンを買おう。
店内でも食べられるぞ。
ここはパンの種類が多いので選ぶのが大変!
迷っていたら、いつまでたっても出られないから気をつけて。

今もお洒落な糀屋さんが残っています。

プロ出汁で有名な吉田屋さん。

日本酒の蔵元は、菊姫と萬歳楽の2つ。
迷ったら、どちらも買ってしまうのがいいよ。

疲れたら横町うらら館で休憩しよう。
菊姫の隣にある町家で、江戸時代は年貢米を管理・販売していた蔵元だった家だ。

鶴来のお祭り「ほうらい祭り」

ほうらい祭りは金剣宮の秋祭り。
毎年10月初旬の土日で行われている。

造り物と呼ばれる巨大な人形が目玉。平家物語にも登場する白山衆徒が神輿を担いで京まで強訴に行った事件がベースになっているらしい。

祭り唄は、キングオブコントで優勝したどぶろっくのような下ネタの替え歌が必ずなされる。
好みは分かれるだろうけれど、まあ男子の悪ノリだと思って許してあげるのが大人の女というものでありましょう。

これは2018年の写真だけれど、結構な迫力だね。

いかがだったでしょうか。
他にも、色々おすすめしたいものはあるのだけれど、少し急ぎ足ならこれで3時間半くらいで行けるのではないかと思う。

イメージとしては、午前中に鶴来を堪能して午後からはさらに奥の鳥越や中宮、白山麓まで行ったりするのが良いのではないかと。
ぜひ、鶴来のまちを楽しんでくださいね!

文責:安藤竜(アンドリュー)

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