【歴史トーク】「歴史の真実」とは何か?

歴史を語るにあたり、やはり私自身の歴史に対するスタンスについては一度述べてみる必要があると思います。
そこで私自身の歴史に対する考えについて、少しお話してみたいと思います。
その上でまずどうしても確認しておきたいのが、「正しい歴史」とか、「歴史の真実」といった用語です。
私自身はこういった用語はどうも苦手です。
それはなぜか?
目次
2種類の「歴史の真実」
例えば「歴史の真実」という言葉を使う際、2種類の「歴史の真実」があるのではないか?
と私は考えています。
それは、
1、客観的な「歴史の真実」
2、その人にとって正しい「歴史の真実」
この2種類です。
そもそも客観的な「歴史の真実」など伝えようが無いという事実
上記の2種類の「歴史の真実」について述べると、私は客観的な「歴史の真実」は確かに「ある」のですが「伝えることができない」と考えています。
それはなぜか?
過去の何かについて語る場合、どうしても史料という証拠を使って、点と点をつないでいくことになります。
この時、「どの点とどの点をつなぐのか?」ということを誰かが決めたとき、その時点でもう客観的な「歴史の真実」ではなくなってしまうと考えるからです。
その時点で「誰かの選択」というバイアスが入ってしまうからです。
もし客観的な「歴史の真実」をどうしても語りたいのであれば、私たちにできることは、可能な限りその「選択」のバランスをとる事で、「なるべく客観的であろう」とすることだけなのだと思うのです。
この事実から目をそらした「正しい歴史」や「歴史の真実」はちょっと困ったものだなと思います(戦略としては上手だなとは思いますが)。
それは現代の出来事でも同じ
それは新聞やテレビのニュースなどのメディアでも同じ事です。
同じ事件についての報道でも新聞やテレビ局によってまったく内容が違うということがよくあります。
新聞やテレビ局はどこも客観的な事実を報道しているわけではありません。
それぞれの新聞社やテレビ局はそれぞれに主張があり、それに基づいて報道しているのはみなさん承知の事実だと思います。
客観的な「歴史の真実」に近づく方法
ですので、
もし客観的な「歴史の真実」を知りたいなら、新聞を全紙読むといったような、様々な思想の持ち主の意見をすべて集めることがより客観的な「歴史の真実」に近づく方法なのかなと思います。
歴史について語るということ
逆に言うと歴史について語るということは、あくまでも自分にとって正しい「歴史の真実」を語ることに他ありません。
つまり自分自身の思想を語ることと同じです。
自分自身は誰を最も救いたいと考えているのか?
その上でどのような未来を創りたいと考えているのか?
この2つの問いについて、どのような答えを持っている人なのか。
それを確認した上で、その人の語る「歴史の真実」を見極める必要があるでしょう。
あなたの目の前で「歴史の真実」について語るその人は、歴史について語るときどんな素敵な未来を描きながら語っていますか?
主な参考文献
E.H.カー『歴史とは何か』(岩波新書、1962年)
喜安朗・成田龍一・岩崎稔『立ちすくむ歴史』(せりか書房、2012年)
キャロル・グラック『歴史で考える』(岩波書店、2007年)
マルク・ブロック『新版歴史のための弁明』(岩波書店、2004年)
ジョン・ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013年)
永原慶二『20世紀日本の歴史学』(吉川弘文館、2003年)