【歴史トーク】ピケティは日本に当てはまらないのか?(後編)

前編ではピケティの主張についてまず確認をしました。
では、つぎに大前研一さんは何が日本に当てはまらないと言っているのでしょうか?
ピケティの主張は的外れ、日本経済の問題は「低欲望社会」に尽きる
一読した限りでは大前研一さんは、前編の1〜3の主張については大筋では納得していると思います。
では何が当てはまらないのでしょうか?
大前研一さんの主張
大前研一さんの主張は、
海外は経済が拡大している。
つまり社会全体の財産が増加している中で格差が生まれている。
しかし日本は経済が縮小している。
格差が広がっていないとは言わないが、日本社会全体の財産が減少している。
そんな状況下では格差を問題にしてもしかたないのでは?
まずは経済を拡大する形での解決法が日本には必要だ。
格差をなくすための政策はその後になってはじめてやるべきだ。
と言いたいのだと思います。
格差が小さければ良いのか?
日本はアジア・太平洋戦争後の農地改革や高い相続税、歴代政府による福祉政策によってまさにピケティの言う所の政策を先駆的に行ってきた。
結果として世界に比べても格差が少ない社会になっている。
しかし現実はどうでしょうか?
今私たちは、格差は小さいかもしれないけど幸せですか?
もっと格差をなくそうと言うのは一見もっともらしいけど、全員が貧乏になる形で格差をなくすなんてありえなくないですか?
ということです。
ではどうしたら良いの?
私も格差はなくなって欲しいですが、全員が貧乏になる形ではなく、全員が豊かになる形での解決でありたいと考えます。
私もいまは貧乏なので、いただけるのならいただきたいという欲望は否定しません。
しかし奪い合う議論よりは、社会全体の財産をどうやったら拡大できるのか?
という創る対話をもっとしていきたいと考えています。
みなさんはどう考えますか?
*本稿を記述後、週刊ダイヤモンドのピケティ特集を読みました。
各論者がピケティをどう読んだのか?
とても興味深かったので、ぜひ一読をオススメします。