【歴史トーク】マツコ&有吉の怒り新党「 新・3大〇〇調査会」みたいに書いてみた

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
私、最近密かにテレビがものすごく面白いなと思うようになりまして・・・
その中でもとくに最近、マツコデラックスが気になってしょうがないのでありまして・・・
ふと、何回も書いている【歴史トーク】を
「マツコ&有吉の怒り新党 新・3大〇〇調査会」
みたいに書いてみたらどうなるんだろう?
と思ってしまったのです・・・
今回、材料にした元記事はこちら。
やってみます!
目次
様々な日本史の3大を見つける、それが「新・3大○○調査会」
(ナレーション)
今夜は江戸時代山村の害獣駆除対策をご紹介。
果たして、何が選ばれるのか!
(夏目アナ)
今回は江戸時代の害獣駆除対策について調査して参りました。
題して
「日本人が知っておくべき、新3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」
です。
最近、輪島市や加賀市の山村で棚田を営んでいる方とお話させていただく機会がありました
そこで必ず話題に出てくるのが、害獣の対策です。
具体的にはイノシシの被害がほとんどで、2010年頃までは能登にはまったくイノシシはいなかったのに、最近温暖化のせいか北上してきたのだそうです。
その被害はものすごく、ようやく稲に穂が出てきて喜んでいたら突然すべてを根こそぎ食べられてしまったなんて話がたくさんあります。
対策として、人のにおいを嫌がるので髪の毛を置いたり、鉄を嫌がるので脚立のようなものを置いたり、しし威しのようなもので音を立てて脅かしたりするものの、1年は良くても翌年は駄目になるようで、毎晩2時間おきに田んぼを回って音をならしてイノシシを追い払ったなんて話もあります。
また犬を飼うことも効果的なんだそうで、
犬のにおいをイノシシは嫌がるし、しつければ子イノシシくらいなら犬が狩ってくれるのだそうです。
また最近はイノシシ駆除の必要性から猟師が見直され、ジビエもブームになっているようです。
このように現代の山村では、とてもホットな話題となっている害獣駆除対策。
今回は江戸時代の人々の害獣駆除対策で印象的なものを3つ選んで参りました。
まず一つ目です。
「江戸時代の農書に出てくる害獣対策について」
です。
ご覧ください。
新・3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」1 江戸時代の農書に出てくる害獣駆除対策について
(ナレーション)
新・3大江戸時代の害獣駆除対策。
まずは江戸時代の農書に出てくる害獣駆除対策。
ペットを飼って害獣を撃退!
まず有権者に訴えたいのは、ペットを飼って害獣駆除対策をすることが江戸時代、とても盛んだったということ!
飼っていた動物はというと、
ネズミ対策にはネコ!
イノシシやシカ対策にはイヌが有効なのであります!
ほか、狼を使いとする神社の札をたてると、その霊験でイノシシが寄ってこないとう話も残っているのです。
松浦静山という人が書いた「甲子夜話」という本には、小さい札に「狐の業(しわざ)と兎が申す」と書くと、キツネが怒って兎を穫ってくれるなんていう記事すら残っているのであります!
また当時は品種改良も盛んで、稲の品種に「雀しらず」(加賀国)というのがあったり、木曽の事例では稗の品種に「鹿ひえ」「いのししひへ」「さるひえ」「ししきらい」などがあったのであります!
という訳で、これを新・3大「江戸時代の害獣駆除対策」の一つとさせていただきます。
このあと、民俗学文献に見える害獣駆除対策用語でまさかの展開に!
(CM)
新・3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」2 民俗学文献に見える害獣駆除用語について
(ナレーション)
新・3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」。
つづいては、江戸時代の農書に出てくる害獣駆除対策。
全国の様々な害獣駆除対策!
まず、有権者に訴えたいのは、江戸時代以降、色々な地域で様々な害獣駆除対策が行われたことなのであります!
それを民俗学の父、柳田国男が丹念に調査していたということ。
柳田国男の調査により、『日本山村語彙』としてまとめられているのです。
まずはヨオヒ。
夜、焼き畑にイノシシやシカがつくのを追いに行くことで、山小屋に泊まって大声で追い、または胴突きといって板を太い木で突きならすのであります!
ほか、ヤキヅリというのもあります。
イノシシの害を防ぐために竹竿の先を割り、それに髪の毛を焼いてはさんで、こういう竹を何本も垣のように畑のへりに建てたのです。
ヒジメといって、ぼろを芯にして火をつけ、イノシシ除けにすることは山村で広く行われたのであります!
ほかにはクタシといって、三河・遠江の山村地方ではイノシシの肉を竹筒に入れて腐らし、それを棒の先に何本もゆわえつけて畑の周りに建てます。
いやな臭気を発してイノシシをいやがらせるのであります!
最後にボットリです。
これは水の流れを利用して、時々落ちて大きな音を立てるようにしたものなのであります!
こうして、江戸時代以来、山村の人々は様々な工夫を凝らしてイノシシなどの害獣が田畑にやってこないようにしたのでありました。
という訳で、これを新3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」の一つとさせていただきます。
(マツコ)
害獣駆除対策って大変だったんだね〜
(夏目アナ)
どうして、髪の毛を焼いてはさんで、畑のへりに置いておくと良いのかといいますと、人の匂いや何かが燃えた匂いをイノシシは嫌がるので、その両方を狙うことでイノシシが寄ってこなかったんだそうです。
(マツコ)
なるほど〜
(有吉)
なるほどね。そういうのがあんだね。
(夏目アナ)
3つめ、見て参ります。
でも、やっぱり鉄砲での駆除が1番!
です。
明治12年、山陰でたたら製鉄を行っていた鉄師の田部家の方が「東京日々新聞」に「猪害防御法質問」を投書したところ、静岡県富士郡猟師より銃殺以外に方法はないとお便りが来て、結局8名の猟師を招いたのだそうです。
江戸時代も、やはり鉄砲で駆除するのが一番の解決策と考えられており、江戸時代にも実際にそうされました。
ご覧ください。
新・3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」3 でも、やっぱり鉄砲での駆除が1番!
(ナレーション)
新・3大「江戸時代山村の害獣駆除対策」。
最後は、江戸時代の農書に出てくる害獣駆除対策。
なんだかんだいって、最終的に頼りになるのは鉄砲しかない!
まず有権者に訴えたいのは、江戸時代でも村の農民は鉄砲を持っていたということ。
長野県の松本藩の事例ですが、当時、松本藩は藩として所持している鉄砲は231梃でした。
しかし元禄時代に領地内の農村にある鉄砲を調査したところ、合計で1040梃もの鉄砲があることが判明したのです。
藩の持つ鉄砲の4倍以上の鉄砲が、実は農村には存在していたのであります!
広島県(安芸郡蒲刈島)の事例ですが、宝永3(1706)年にイノシシ討ち援助願いが出され、鉄砲打ち10人による3月1日〜8月31日までのイノシシ討ち計画が建てられたのです。
藩より火薬、鉄砲玉の下げ渡しを受け、飯米代の貸付も受けていました。
その結果、10日間で
親イノシシ66匹。
腹籠もり子イノシシ73匹。
計138匹を討ち取ったのであります!
動員人夫は延べ4022人でありました。
江戸時代の山村では、これだけの動員をかけて徹底的にイノシシ駆除を行ったのです。
イノシシ狩りの費用は江戸時代の初期、藩による助成がありましたが、江戸時代も後半になると、藩からイノシシ猟の資金をもらう形はなくなっていきます。
でも何としてもイノシシを駆除したい農民たちは、自主的に年貢徴収とは別に村の費用としてイノシシ狩り費用を徴収し、資金をプールしてイノシシ猟を行うという体制に切り替わって行くのであります。
こうして、江戸時代を通じて山村の農民は鉄砲でイノシシを駆除しまくるのです。
という訳で、これを新・3大「江戸時代、山村の害獣駆除対策」の一つとさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました!