「あさが来た」の時代背景を解説。あさが良く例えられる「殊法大姉」の繁盛店の作り方とは?

NHK朝ドラ「あさが来た」で、主人公のあさが良く例えられる人物に、三井家の殊法(しゅほう)大姉がいます。
あさが商いの才覚があると褒められるたびに名前がでてくる殊法大姉。
いったいどんな人物なのでしょうか?
殊法大姉とは、三井越後屋の元祖と言われる三井高利(たかとし)のお母さんにあたります。
夫は三井高俊(たかとし)といいました。
三井家は元来、近江の佐々木六角氏に使える武家の出身でしたが、当時は伊勢の松坂(三重県松阪市)で酒や味噌の販売を行い、質屋も経営していました。
しかし殊法が30代の頃に夫が亡くなってしまったこともあり、実際に経営を行ったのは妻の殊法でした。
殊法は永井佐兵衛という商家の娘だったこともあって、商才に長けていたのだとか。
ちなみに、殊法という名前は仏教に帰依したときの法号で、実際の名前は伝わっていません。
殊法の酒屋経営の手腕とは?
殊法の経営に関して、現在に伝わっているのは大きく2点です。
それは、徹底的な経費削減とホスピタリティです。
経費削減のエピソードとしては、とにかく物を捨てない!リサイクルをするというのがあります。
・すり鉢の底が抜けたら、とゆの受け筒にする。
・ひしゃくの底が抜けたら、煎茶壺の尻敷きにする。
・髪を結うひもも再利用してこよりにする。
・半紙の余りも油料理の敷紙にする。
・お寺へのお参りの際に、古わらや古縄が落ちていたら必ず拾って、わらを再利用する。
このように、とっても細かいところまで再利用して、ほとんど物を捨てなかったのだそうです。
また数字にも強く、経理担当にまったく負けないくらいだったのだとか。
ホスピタリティに関するエピソードとしては、
お店に酒や味噌を買いに来るお使いの人(使用人)を丁寧にもてなした。
ということがあります。
お使いに来た使用人に、殊法みずからお茶やタバコ・ごはんなどを出してもてなしたのです。
本来、お金を出すのはその主人ですので、お使いの人をもてなしてもしょうがないと考えがちです。
しかし殊法は実際に買い物に来る使用人からの好感度をアップさせることによって、自店のファンを増やし売上を拡大したのです。
結果、地域の城主の古田大膳が経営する酒店よりも売上を拡大。
越後殿の酒屋と呼ばれるようになり、のちに越後屋と名乗るようになるのです。
まさに三井越後屋の母と言って良い存在だったのです。
まさに、あさと境遇が似ていますね。
女性を大事にする経営
この殊法の教育をうけ三井高利は江戸に進出、現金掛け値なしのキャッチフレーズで江戸で大ブレイクするようになります。
母の影響か三井高利も奥様のかね(寿讃)さんを大事にしており、かねさんも奉公人が早朝に出発するときは早起きしてもてなすなど、非常に慕われたのだそうです。
そんなこともあってか彼の商売の心得を記した「商売記」という書物には、三井高利の言葉として
「人の女房は大黒、男は夷と心得よ」
という文章があるのだそうです。
商売で成功するには奥様の力が大切ということですね。
コンビニエンスストアの経営でも、奥様が商売熱心な店ほど繁盛する傾向がありますが、江戸時代でもそれは同様だったのです。
主な参考文献
三井文庫 編「殊法大姉行状」(国立国会図書館デジタルコレクション)
三井文庫編『史料が語る三井のあゆみー越後屋から三井財閥』(吉川弘文館、平成27年)
古川知映子『小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯 (潮文庫、2015年)
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