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【歴史トーク】「あさが来た」の時代背景を解説。江戸時代の鉱山のくらし

「あさが来た」では、主人公のあさが女性なのに単身ピストルを持って、荒くれ者だらけの炭鉱へ向かいます。

炭鉱の鉱夫たちは親分と呼ばれる飯場主の管轄下にありましたが、あさはその仕組みを変えたいと考えて、まずは坑夫たちと一緒に石炭堀りを手伝うことにします。

坑夫たちと共に働くことで、いつしか坑夫たちと心が通じ合い、改革に向けて話が進んでいくのですが・・・

そもそも主人公のあさが

「変えたい!」

と思った、鉱山の仕組みは具体的にどんなものだったのでしょうか?

今回は、江戸時代の鉱山の仕組みを生野銀山や院内銀山、石見銀山などの事例から見ていきます。

江戸時代の鉱山の経営

そもそも江戸時代の鉱山の経営は、基本的に幕府の直接経営がほとんどでしたが、藩営や商人経営の鉱山もありました。

しかし鉱山自体は幕府の直営だったとしても、採掘をする坑道ごとに採掘権を持つ山主がそれぞれ採掘業務を請け負っていました。
各山主は一定の採掘料を支払うか、採掘した量から一定の比率で分配するかどちらかの形で幕府や藩に手数料を支払っていました。

幕府や藩としては、この手数料収入さえ入れば問題はないため、当時の人々にとって鉱山は天下の山という意識が強く、基本的に鉱山内の問題については権力は介入しませんでした。

「山法」による自治

幕府や藩が鉱山内の問題に介入しないかわりに、鉱山内だけの法律「山法」をもとに、山主や町人による自治が行われたのです。

そのためか鉱山から勝手に外出ができなかったり、鉱山で働く知人に会うにも入山許可を得なければいけないなど、非常に閉鎖的な社会でした。

また逆に権力の介入が非常に弱い社会だったため、キリシタンが潜伏していたり、駆け落ち人がいたり、犯罪者なども殺人を近所で犯したなんてことがない限り罪を不問にして働かせるというような非常に解放的な面も持ち合わせていたようです。

これは恐らく、鉱山で働く坑夫の寿命が非常に短かったことにも由来するのではないかと思われます。

江戸時代の坑夫は短命だった

江戸時代の鉱山で働く坑夫は20~30歳前半程度で死亡することが多かったといいます。

その原因は粉塵やガスなどを吸い込むことによる塵肺病が主で、それ以外でも酸欠や落盤などの事故も多かったのです。

江戸時代後半の鉱山は、浅い場所の鉱石は取り尽くしてしまっており、より深い場所を掘るようになっていました。

そのため、換気がうまくいかなくなっていたのです。

相互扶助のしくみ

このような状況から坑夫は結婚なども難しく、病気や歳をとると面倒を見てもらえないということから、親分子分という形での擬似親子関係を結びだします。

年老いたり病気のときに面倒を見る代わりに、技術を教えてもらったり教育を受ける関係です。

これが次第に組織化し、制度化されていくようになるのです。

この制度は本来、坑夫たちの相互扶助の仕組みとして生まれました。

しかし本来の形からはいつしかズレていってしまっていたため、あさは改革しようと考えたのです。

主な参考文献

荻慎一郎『日本史リブレット89 近世鉱山をささえた人々』(山川出版社、2012年)

仲野義文『銀山社会の解明ー近世石見銀山の経営と社会ー』(清文堂、2009年)

古川知映子『小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯 (潮文庫、2015年)

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