江戸の経営コンサルタント海保青陵が語る王道の経営と覇道の経営とは?

よく王道の経営とか覇道の経営という言葉を目にします。
意味合いとしては、
王道の経営は従来の日本的経営がイメージされ、社会貢献をベースにした「理念」に基づいた経営がイメージされているようです。
逆に覇道の経営はとくにアメリカ系の企業の経営がイメージされ、短期的な利益を追求する経営と考えられているようです。
そして、王道と覇道どちらの経営が良いのか?
といった議論がなされるのです。
まあなんとなく理解はできますが、そもそもこの両者はどうしても分けなくてはいけないものなのでしょうか?
まずは「王道」と「覇道」という言葉はどのように語られてきた言葉なのか見ていきたいと思います。
王覇の言葉は中国の古典「孟子」が出典
王覇とうい言葉は『孟子』公孫丑篇が出典です。
王道とは、仁義など道徳・倫理を重んじ、それに則って民を治める方法です。
覇道はもっぱら武力に頼った統治の方法です。
そして孟子は王道を推してきたため、覇道よりは王道が良いとされています。
儒者・海保青陵の王覇論
さて江戸時代の日本に、海保青陵という儒者がいました。
この人は儒者ですが経済に通じており、現在でいうところの経営コンサルタントのような仕事を江戸時代にしていた人です。
加賀藩の財政再建に意見をした人としても有名です。
海保青陵は、王覇の言葉をより現実に則して解釈しました。
「王」という言葉は
ある世界全体を自分だけで抱えている状況だというのです。
そして、「覇」という言葉は
自分はある世界の一部である状況をいうのだと。
その論でいくと、将軍は大名との関係で言えば「王」の立場になります。
そして大名は他の大名と争う「覇」の立場にあるというのです。
つまり彼が言う王道とは自分の状況を「王」とする方法をいいます
そのためには、人と人を繋がなくてはなりません。
そのために道徳が必要だし、仁義などの倫理を重んじて秩序をつくる必要があるとしたのです。
王道の土台としての覇道
経営手法でいうならば、
「王」とはある市場を独占することや、フランチャイズ展開、協会ビジネスなどがあろうかと思います。
しかし日本国内では「王」である将軍も、中国やアジア、西洋も含めた世界で考えれば「覇」の状態となるように、競合の発生などによって「王」の状況はすぐに「覇」の状況に陥ってしまいます。
王道はあくまでも乱世の一時的な状況で求められるものであり、治世ではすぐに誰もが覇道の状況に陥ります。
よって、海保青陵は王道は治世では当たり前のことなのだといいます。
そして、治世ではそれを踏まえた覇道=売買損得の戦いが繰り広げられるのだと。
つまり、王道と覇道はわけて考えられるものではありません。
海保青陵にとっては、王道はあくまでも土台です。
王道という土台を築き、その上で覇道を極めていく必要があるのです。
参考文献
徳盛誠『海保青陵ー江戸の自由を生きた儒者ー』(朝日新聞出版、2013年)