飛脚vs参覲交代!どっちが早い?

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
(乗換案内のジョルダンより引用)
今年は北海道新幹線が開通し東京と函館の距離が4時間になったとか。
また金沢は北陸新幹線が2年目を迎え、どんどん金沢と東京の距離が短くなりました。
また、近年ではアマゾンや楽天が配達時間を画期的なまでに短くしつつあり、都内ならへたしたら20分で物が届くようになったとか。
人や物の移動はどんどん早くなっています。
では江戸時代の人と物の移動はどうだったんでしょうか?
江戸時代の飛脚と参覲交代のスピードを加賀藩を事例にご紹介してみます。
加賀藩の参覲交代でかかった日数
加賀藩の参覲交代ルートは、ほぼ北陸新幹線のルートと同じです。
現在は「かがやき」で2時間28分。
では江戸時代はどうだったんでしょうか?
(忠田敏男『参勤交代道中記ー加賀藩史料を読むー』139ページより作成)
忠田敏男さんの研究によると、
金沢から江戸に向かう際の最も多い所要時間は12泊13日。
最も日数がかかったのは、寛政10(1798)年の18泊19日。
逆に最短記録は、寛永20(1643)年。4代前田光高のときの6泊7日。
光高の奥様が産気づいたので急いで来て!
という手紙が来たというのが、その理由でした。
基本的には江戸時代の初期は比較的早めについていたのだけど、後期になるにつれて日数がかかるようになっていたようです。
では、つぎに飛脚の事例を見てみましょう。
飛脚が配達にかかった日数
飛脚については、幕府の公式な書類を運ぶ飛脚と庶民のための民間の飛脚がありました。
公式書類を運ぶ飛脚だと、早道飛脚という速達便のようなものでは、夏は5日。冬は6日で走っていたようです。
では民間の飛脚はどうだったのでしょうか?
また、速達じゃない通常の飛脚はどれくらい日数がかかっていたのでしょうか?
これは宮地正人さんの研究からみてみます。
富山県高岡の坪井信良というお医者さんの事例です。
(ちなみに金沢ー高岡間は参勤交代では約1日の距離)
安政元年のペリー来航のときに、情報交換のために頻繁に手紙のやりとりをしているのですが、こちらは最短で12日。長いと25日くらいかかっていました。
ちなみ、これが明治時代になると一気に短縮され、明治7年では最短で4日となりました。
地方都市から地方都市の飛脚
ただ、こんなにスピード感があったのは地方都市から江戸・東京間だけの話でした。
例えば高岡から静岡に送る手紙などは、一度東京に送ってから転送されるので、明治時代になっても一月半くらいかかったこともあったようです。
今でも北陸から静岡は結構行くのが大変ですが、当時はもっと大変だったようですね。
参考文献
忠田敏男『参勤交代道中記ー加賀藩史料を読むー』(1993年、平凡社)
宮地正人『幕末維新期の文化と情報』(1994年、名著刊行会)
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