東京商工会議所は不平等条約改正のためにつくられた?
歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
今回の記事は、明治時代初期の商工会議所設立事情についてです。
商工会議所とは、会員企業への融資だったり、ビジネスのマッチングといった企業経営のサポートをする組織です。
東京商工会議所の原型は明治11(1878)年に設立されました。
当時の名称は東京商法会議所。
初代の会頭は資本主義の父とも評される渋沢栄一でした。
明治11(1878)年といえば西南戦争も終わり、本格的に江戸から明治へと時代が変わりつつあった時期。江戸時代の両替商も銀行へと進化していた時期です。
そんな時期ですから、東京商工会議所はまさに「殖産興業」のために設立されたと私自身勝手に思っていたのですが、設立の理由はじつはそれだけではなかったのです。
東京商工会議所は不平等条約改正のためにつくられた
東京商工会議所の設立は、当時大蔵卿だった大隈重信の肝いりで急遽決まったといいます。
なぜそのように突然、商工会議所の設立が決まったのでしょうか?
それは不平等条約の改正のためという理由があったのです。
当時、明治政府は江戸幕府が結んだ日米修好通商条約などの不平等条約を改正させることを悲願としていました。
*このあたりの事情については、こちらの記事もご参照ください。
そのため、明治政府がイギリス公使パークスに
「世論が許さないから改正されたい」
と申し出たところ、パークスからは
日本に世論があるのか?日本には多くの人が集まって協議する仕組みはない。個々人のバラバラな意見というのは世論ではない。
といった内容の返答があったというのです。
当時は、条約改正のためにはいち早く西洋化することが求められていた状況だったので、大急ぎで商工会議所を設立しなくてはならなかったというのが真相だったのでした。
当時、渋沢栄一は士農工商の気風がまだまだ残る明治の世の中で、実業家(商人)の地位が低いことが問題だと考えており、実業家の地位を上げるためにもこの話に積極的に参画。
ここに日本初の商工会議所が設立されるのです。
明治という時代は不平等条約の改正に始まり、西洋列強への対抗というテーマが常につきまとう時代です。
それは商工会議所も例外ではなかったのでした。
参考文献
東京商工会議所編『渋沢栄一 日本を創った実業人』(2008年、講談社+α文庫)
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