東京で金沢を探す旅!板橋駅付近で加賀藩江戸下屋敷跡をめぐる〜史跡探索編〜

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
今回は東京で金沢を探す旅!
場所は東京板橋駅の加賀藩下屋敷跡。
*加賀藩下屋敷の歴史についてはこちらをどうぞ
【歴史トーク】東京板橋駅付近、加賀藩下屋敷跡をめぐる歴史
これが加賀藩下屋敷の絵図ですが、この範囲が現在の地図だと
*いたばしらいふ.comより引用
こうなります。
今回は、板橋駅付近の加賀藩江戸下屋敷跡付近を歩きます。
今回のルート(寄り道含む)
*平成28年度版「観光いたばしガイドマップ」より
ダウンロードはこちらから
START→ 板橋駅(東口)→ 近藤勇の墓→ 板橋駅(西口)→ 法務局付近(加賀藩下屋敷大御門だったあたり)→ 東光寺→ 観明寺→ 平尾宿脇本陣跡→ いたばし観光センター→ 金沢橋→ 加賀公園・加賀前田家下屋敷跡→ 金沢小学校→ 東板橋図書館→ 加賀保育園→ 加賀中学校→ 加賀山照伝寺
14:00〜17:30くらい無駄に歩いてみました。
基本的には緑のルートなんですが、法務局付近から本来加賀公園に向かうところ、3の東光寺方面に先に行ってから最後に加賀公園に向かっています。
観光センターで40分くらい消費したり、金沢小学校あたりから道に迷ったりしたので本来はもう少し短く楽しめるとは思います。
では実際に歩いてみよう!
板橋散策スタート!
池袋駅から埼京線で1駅。
板橋駅の東口にやってきました。
まずはマップを見ているとどうしても気になってしまった近藤勇の墓に行ってみました。
まったく加賀藩とは関係ありません。
誰もいません。
しょっぱなから寄り道です。
まあ、まち歩きってそんなもんです。
歩いてみて全然関係ないけど面白いものを見つけることって多いんです。
さあ、気をとりなおして板橋駅西口前にある、むすびのけやきから加賀藩下屋敷探索の旅スタート♫
トコトコと緑のルートを歩き、まずは法務局付近の首都高速の下までやってきました。
ここは何があったのかというと、
ちょうど加賀藩下屋敷の大御門のあったあたりなのです!
正確にはこのボウリング場あたりだったようです。
わくわくしてきますね!
歴史の知識があると、こんななんでもない風景でも楽しめるから不思議です。
さて、つぎです。
浄土宗東光寺までやってきました。
こちらは延徳3(1491)年に開山したのだそうです。
当初は加賀藩下屋敷の敷地内にあたる場所にあったのが、下屋敷ができるのに伴って、現在地に移転されたのだそうです。
金沢の人間としては、明治時代に建立された宇喜多秀家の供養塔が気になります。
宇喜多秀家といえば奥様が前田利家の5女豪姫であり、加賀藩は宇喜多秀家が流罪となった八丈島に明治維新まで食料などを支援したと言われています。
その宇喜多秀家の供養塔が
これ!
「秀家卿」の文字が!
テンション上がってきました。
さあつぎは真言宗の観明寺です!
こちらは、加賀藩下屋敷にゆかりのものが2つあります。
まずは
赤門!
東大の赤門に比べるとかなり小さいですが、下屋敷の通用門だったと言われています。
絵図を見ると4カ所に門が見えますが、このうちのどれかだったのではないかと思われます。
もうひとつは、
こちらの出世稲荷。
絵図に鳥居と社殿があり、横に「イナリ」とカタカナで書かれています。
この場所にあった稲荷神社が移転してきたものなのです。
どちらも移転してきたものですが、加賀藩下屋敷にまつわる2つの遺構を見ることができる観明寺。
テンションがさらに高まります。
さて、つぎに向かったのは
板橋宿平尾町脇本陣跡。
こちらは、幕末に捕らえられた新選組局長の近藤勇が幽閉されていた場所なのです。
今ではマンションになっています。
道すがら、こんなレトロな銭湯を発見!
花の湯さん。
ここを通り抜けて
板橋区立いたばし観光センターで情報収集!
たっぷり加賀藩下屋敷跡の歴史についてレクチャーしていただきました♫
さあ、いよいよ加賀公園にある加賀藩下屋敷跡の碑へ向かいますよ!
加賀公園の手前には金沢橋!
東京で金沢の名前を見ると、不思議な気持ちになります。
板橋区立加賀公園にやってきました。
加賀公園は下屋敷絵図でいうとこのあたり。
さきほど稲荷神社がもともとあった場所の隣、「高山」と描かれている山がこの加賀公園なのです。
加賀前田家下屋敷跡の石碑と
絵図つきの解説板があります。
ちなみに
ポケスポットでもあります♫
そして、
石碑の横には、金沢の尾山神社のステンドグラスと同じものが飾られています。
*尾山神社
この加賀公園は「高山」の跡なので、
もちろん山に登れます♫
徒歩1分程度ですが、山頂に到着。
なんともいえない達成感!
降りてくるとこんなぼこぼこの場所が。
明治時代、加賀藩下屋敷跡の北半分は陸軍の火薬製造所となりました。
そのときの標的跡が残っています。
南半分は住宅地として払い下げられましたが、北半分は陸軍の火薬製造所となったため、このエリアは広大なスペースが残り、今現在も帝京大学やタワーマンションなど東京では珍しい景色が広がっているのです。
次回は、そんなエリアで現在でも「金沢」や「加賀」と名前がついている建物を探していきます!
*東京で金沢を探す旅!板橋駅付近で加賀藩江戸下屋敷跡をめぐる〜金沢・加賀の名前探索編〜
*加賀藩下屋敷の歴史についてはこちらをどうぞ
【歴史トーク】東京板橋駅付近、加賀藩下屋敷跡をめぐる歴史
*こんな動画もオススメです。