北前船主に学ぶ!従業員のモチベーションを高めるインセンティブの与え方とは?

昨今、企業では人手不足もあって、「従業員満足度」を高めることをようやくテーマに取組み始めています。
アメリカではさらに発展させた概念として、「エンゲージメント」という従業員の満足度だけではなく、その上で企業としての目標達成度を重視する考え方が生じています。
どちらにしても、従業員のモチベーションを高めることが企業の利益につながるという考え方が最近ようやく日本でも広がり始めました。
歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
今回は、
江戸時代の北前船主が、自分の所有する船の船頭や船乗りに対してどのようなインセンティブを与えることでやる気を引き出したのか?
というお話です。
目次
そもそも北前船とは?
北前船とは、中西聡さんの定義によると
本州・四国・九州などに拠点を持ち、18・9世紀に北海道へ進出した商人船主の船
を指します。
主に蝦夷地(北海道)のニシンやイワシカスといった魚肥、昆布などを大坂で販売、逆に大坂では酒や砂糖、油、古着などなど日常生活に必要な物全般を仕入れて日本海側の各地で販売しました。
ポイントは単なる運送業ではなく、自分自身で商品を買い付けて自分自身で販売していたことです。このことによって北前船主は莫大な利益をあげていました。
*大航海時代というゲームがありますが、北前船主がやっていたことはまさにこれにあたります。
北前船の乗組員たちの役職
北前船の乗組員たちには主に7種類の役職がありました。
1、船頭(せんどう:船長)
2、知工(ちく:会計主任・副船長)
3、表(おもて:航海長)
4、片表(かたおもて:副航海長)
5、親父(航海士のリーダー)
6、若衆(航海士)
7、炊(かしき:見習い航海士)
そして、船の持ち主が船頭を兼ねる場合と、他人を船頭として雇う場合がありました。
北前船の利益と乗組員たちの給与
北前船は一回の航海で莫大な利益をあげました。
幕末の頃、文久3(1863)年の亀田家の事例でいうと、
北海道での販売利益: 72両(仕入れ 420両、販売 348両)
大坂での販売利益 :655両(仕入れ1446両、販売2119両)
北海道と大坂の一往復で2467両の売上となり、粗利は727両ありました。
現在の価値でいうと粗利は2億1810万円(仮に1両30万円で計算)になります。
*1両の現在価値については日本銀行金融研究所貨幣博物館の記事が参考になります。
さぞかし、北前船の船乗りたちはたくさんのお給料をもらっていたのだろうと思いきや、実際は一回の航海の給料は一般的にこんな具合だったと言われています。
船頭:2両(60万円)
若衆:1両(30万円)
よくこんな給料で暴動が起こらなかったなと思うような額ですが、実際にはもちろんこれにプラスして実によく考えられたインセンティブが用意されていました。
それが、
「帆待ち」と「切出し」
です。
北前船の船乗りに与えられたインセンティブとは?
「帆待ち」とは船頭と一部の知工(ちく)に認められたインセンティブで、個人荷物を船で運んで自由に売買をしても良いという権利です。
船頭は現在でいうと、会社の費用で商品の買い付けをした際、自分のポケットマネーでも買い付けを行い、会社の経費で輸送し会社の販売先に自分の荷物も販売することができました。
そして「切出し」はそれ以外の船乗りに認められた権利で、北前船で荷物を運び終えたら運んだ荷物の何%かをもらえる権利です。
船頭には船主の船を使って自分でも自由に商売する権利を与えられていましたが、これでは船頭はどうしても自分自身の荷物を多く運ぼうとしがちになります。
そうすると船主の利益が減ってしまうという問題がありました。
そこで他の船乗りには、船頭個人の荷物よりも船主の荷物が多ければ多いほどインセンティブがもらえるという仕組みにしたのです。
そうすることによって、船主・船頭・船乗りの三者が全員納得できる収入があげられる体制ができました。
北前船に乗るということは船が難破して死んでしまう可能性もある危険な仕事でした。
だからこそ北前船の船主は、船頭や船乗りのモチベーションを上げつつ自身の利益を最大化する工夫を常にする必要があったのです。
主な参考文献
牧野隆信『北前船の時代ー近世以後の日本海海運史ー』(教育社歴史新書、1979年)
中西聡『北前船の近代史ー海の豪商たちが遺したものー』(成山堂書店、平成25年)
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