室町から江戸時代にかけて、たたら製鉄に起きた イノベーションとは?

歴活代表の安藤竜(アンドリュー)です。
今回のテーマは、室町時代から江戸時代にかけて起きた製鉄技術のイノベーションについてです。
*前回までの記事はこちら
*もののけ姫のたたら場のモデル!島根県奥出雲、菅谷たたらを行く!その1 なぜたたら場に注目するのか?
*もののけ姫のたたら場のモデル!島根県奥出雲、菅谷たたらを行く!その2 「菅谷たたら」にはどうやって行くの?
*奥出雲「菅谷たたら」から見る!たたら製鉄の世界【前編】
*奥出雲「菅谷たたら」から見る!たたら製鉄の世界【後編】
室町から江戸時代にかけて、たたら製鉄に起きたイノベーションとは?
以前、砂鉄には真砂(まさ)と赤目(あこめ)があり、真砂は玉鋼になるが赤目は質が低く、鍋や鎌などに使われたと書きました。
*奥出雲「菅谷たたら」から見る!たたら製鉄の世界【前編】
この2種類の砂鉄は品質以外にもうひとつ特徴がありました。
それは赤目は真砂よりも高温でないと、鉄と不純物(ノロ)の分離が難しいという特徴です。
そのため、室町時代までは真砂が採れる山陰地方でしか「たたら製鉄」は行われませんでした。
しかし、その問題を解決したのが風を炉に送り込む「ふいご」の改良です。
天秤ふいごと呼ばれるふいごが開発されたことで炉の高温化に成功。
結果、江戸時代には赤目でも「たたら製鉄」ができるようになったのです。
これは同時に、山陰の出雲地方だけでなく、山陽地方でも「たたら製鉄」が可能になったということを意味しました。
そのため、江戸時代初期の元和6(1620)年には全国の産鉄量は13,338貫だったのが、100年後の享保期(1716年頃、徳川吉宗の時代)には175,000貫となり6.6倍に増加したのです。
このイノベーションによって作られた大量の鉄を使った農具によって、江戸時代は田地の開発ラッシュがスタート。
江戸時代前半の高度成長期を迎えていくのです。
たたら製鉄の主な参考文献
渡辺ともみ『たたら製鉄の近代史』(吉川弘文館、2006年)
雀部実・館充・寺島慶一『近世たたら製鉄の歴史』(丸善プラネット、2003年)
土井作治「近世たたら製鉄の技術」(『講座・日本技術の社会史第5巻』日本評論社、1983年)
野原建一『たたら製鉄業史の研究』(渓水社、2008年)
『菅谷鑪 』(島根県文化財愛護協会、昭和43年)
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