なんで突然、教科書の内容が変わるの?<歴史学の疑問解決講座> その一

どうも歴史学の疑問解決講座のお時間です。
お届けするのは歴史家の安藤竜(アンドリュー)です。
歴史やってます。と自己紹介するとたまに聞かれるのが、
なんで突然、教科書の内容が変わるの?
というものです。
例えば、鎌倉幕府成立の年代は1192年と覚えた人は多いと思いますが、のちに1185年となり、ほかにも1180年、1183年、1184年、1190年という説があって、とうとう今ではひとつの年に決められないということになりました。
まあ私としては、最初の疑問への答えとして
研究が進化したからです。
と答えるしかないんですが、明らかに納得してないのですね。
色々聞いてみると、納得できない一番の理由は
体重計に乗ったら45kgだったら、もう変えようがないのに、なんで48kgとか42kgとかいう人がいるの?
ということみたいなんですね。
真実はひとつじゃないの?
とね。
今回はそんな疑問に私なりに答えてみようと思います。
目次
「真実」にも段階がある
ドラマ「99.9」のセリフに
”真実”っていうのはさ、
100人いたら100通り
あるものなんだよね。
でも、起こった”事実”って
いうのは1つだけ。
こんな言葉がありますが、ここにヒントがあります。
つまりこれに関しては「真実」にも段階があるということで理解していただければと思うのです。
たとえばですが、
1、私は10万円を友人Aさんから返してもらえる権利を3月8日に得た
2、私は10万円を3月8日に友人Aさんに現金で渡した
分かっていただけますでしょうか?
この2つはどちらも「真実」として良いと思うのですが、2は動かしようがないですが1は微妙ですよね。
確かに3月8日に10万円貸してますが、例えば
借用書の日付が3月10日だった
という新しい事実が出てきたらどうなるでしょう?
権利を得た日にちとしては、3月8日から3月10日に変更になるということで納得されると思うんです。
これが鎌倉幕府の成立年代が変わったメカニズムです。
「明確な基準」だったものが揺らぐことがある
お金を返してもらえる権利が発生した日として有効なのは、貸した日なのか借用書の日にちなのかは法律という「明確な基準」があるので分かりやすいですが、鎌倉幕府成立の場合は「明確な基準」だと思われていた基準が、ある説の誕生で揺らいでしまったのです。
これまで鎌倉幕府の成立は源頼朝が征夷大将軍になった日で決まっていました。
なぜなら室町幕府も江戸幕府も征夷大将軍になることで成立しているからです。
でも鎌倉幕府の場合、幕府のパイオニアだったため幕府=征夷大将軍ではなかったことが判明したのです。
具体的には源頼朝は1192年から3年たった頃、征夷大将軍を辞めてることが明らかになったのです。
あれ?
ですよね。
将軍就任=幕府成立じゃなかったのか!
じゃあ幕府成立とみなして良い本当の要件は何?
となってでてきた説が守護地頭を置く権利を得た1185年説だったりするわけなんです。
しかし結局今のところ結論は出ていないようです。
なんで人によって意見がバラバラになるの?
こう書くと、歴史学ってなんてあいまいな学問なんだと思われるかもしれません。
なぜ人によってそんなに意見が分かれるのかと。
でも、これは仕方ない部分があるのです。
なぜなら、そこには人の考え方(思想)の違いというものがあるからです。
言い換えれば、人それぞれ大切にしているものが違うということです。
例えば、「ブラック企業」という言葉があります。
私たちは結構普通に使っていると思いますが、改めてどういう状態なら「ブラック企業」と言って良いのでしょうか?と問われると、かなり人によって意見が割れると思うのです。
経営者と労働者、ベテランと新人、男性と女性、能力の有無、ストレス耐性のレベル、仕事と家族とどちらが大事と考えるかなど、様々な要因で基準は変化すると思います。
ですので仮に私が「ブラック企業」を定義する場合、自分は何歳でどんなポジションでどれくらい仕事ができる人間なのか、家族は、子供はいるのかなどを可能な限り表明した上で意見を述べることしかできません。
もっと気楽な言葉でも同じです。
「ヴィジュアル系バンド」という言葉に関しても、昨年放送されていた関ジャムという番組を見ているとかなり人によって意見が割れるようです。
しかしあの番組では、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんが
「ヴィジュアル系バンド」とは太いアイラインで楽器をもつお兄さんたち
と、最初に自分なりの定義を語ったことで成立しました。
「太いアイラインをひいて楽器をもっている人」
というかなり広い定義で語りますよ!と基準を明確にしたことで、
LUNA SEAやGLAYはヴィジュアル系ではない!
なんて意見を封じることに成功しました。
(*L’Arc〜en〜Cielは流石に入れてなかったですが・・・)
同じように、多くの方が自分なりの「ヴィジュアル系バンド」の定義を決めた上でヴィジュアル系の歴史を語る。その総合体のなかでなんとなく「ヴィジュアル系バンド」とは何かのイメージが共有されていく。
これが歴史学の発展のプロセスです。
こうすることで、少しでもあいまいな部分を消していくしか、「たったひとつの真実」には迫っていけないのです。
よく太平洋戦争の頃を題材に「正しい歴史」という言葉を目にしますが、彼らの「正しい歴史」というのは、「私にとってヴィジュアル系バンドとはこうだ」というひとつの意見に過ぎないものがほとんどです。正確には「私にとって正しい歴史」なのです。
あなたと同じように相手にも「私にとって正しい歴史」がある。
そこを理解した上で議論をしたいものですね。
この点については、もう一段階違う話があるので稿を分けて述べたいと思います。
文責:安藤竜(アンドリュー)
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